練習中のマリーンズベンチに懐かしい顔があった。5月14、15日に沖縄セルラースタジアム那覇で行われたバファローズ2連戦に姿を見せたのは、沖縄県石垣島出身の大嶺祐太さんだ。

 2007年に、八重山商工から高校生ドラフト1巡目でマリーンズ入り。2021年まで在籍し、翌年はドラゴンズに移籍。その年のオフに現役引退した。故郷の縁から初戦は沖縄のラジオ局、2戦目はテレビ局の解説でスタジアムを訪れ、試合前にはマリーンズの懐かしい顔ぶれと旧交を温めた。

珍しいデザインの理由

 目を惹いたのは、着用していたポロシャツだ。自身が手掛けるオリジナルブランドのもので、胸のマークは肘に手術の跡がある右腕。その手はピースサインを作っている。大嶺さんが19年1月に受けたトミー・ジョン手術(右ひじ内側側副靭帯再建術)を表現しているという。元プロ野球投手らしいといえば、らしい。しかし、なかなか珍しいデザインだ。

「手術はどうしてもマイナスなイメージがすごくある。だからこそ絶対に回復する、元に戻る、大丈夫だよというメッセージを込めて作りました。手術イコール暗い感じがあるけど、それをキッカケに元に戻るどころか、さらによくなる、と。前向きにとらえられるようにという思いも込めました」

 大嶺さんはそう説明して、ニコリと笑った。

西野、種市にもプレゼント

 実はこのポロシャツ、マリーンズの後輩選手たちにもプレゼントされていた。自身が手術を受けた翌年の20年にメスを入れた西野勇士投手、種市篤暉投手らに「同じ手術を受けた仲間ですから」と贈っていた。

「手術後のアドバイスとかをしていたのを覚えています。手術したのは肘でも、その原因は肩をかばっていたことだったりもする。だから肩のインナーを今のうちに鍛えた方がいいよ、と。手術はその時が一番のどん底。あとは上に向かっていくしかないので。みんな前向きでした」と大嶺さんは振り返る。

 アパレルに興味を持ったのは現役時代のオフにイタリアへ新婚旅行にいったことがキッカケだった。ローマ、ミラノ、フィレンツェ……。当初は大好きだった本場のサッカーを見ることが目的だったが、街ですれ違う人たちの服装が強く印象に残った。

「街にいる普通のおじいちゃんたちがカッコよかった。ジーパンや革靴をしっかりとはきこなして。シーズンオフの冬だったんですが、ダウンを着て、その下に襟付きのシャツを着て、カーディガンを羽織ってと。それがすごくカッコよく見えたんです。ああいう風に自分も年をとっていきたい、と思った中でアパレルへの興味がどんどん増していきました」

「Recuperar」に込めた思い

 それから時間を見つけては衣類のデザイン画を描くようになった。現役引退後は、飲食業を営みながら、アパレルブランド作りにもチャレンジしたいと決意。最初に作ろうと決めたのが、トミー・ジョン手術をイメージしたこのデザインだったという。下絵を描いてもらったのは、マリーンズの後輩選手。そこに「Recuperar」というスペイン語の刺繍を入れた。日本語に訳すると「回復する」、「取り戻す」に加えて「好転する」という意味もある。そこには、大嶺さんの強いメッセージが込められている。

「最初のデザインはこれにしようと決めていました。これからトミー・ジョン手術をする人もたくさんいる。その力になればと思って」と大嶺。完成した昨年からインターネットで販売を開始し、好評だという。現在はラインナップが限られているが、「入りやすいのはTシャツやキャップだった。ただ、ゆくゆくはイタリアの人たちが街で来てくれそうな革ジャンとかを作りたいという夢があります」と瞳をキラキラと輝かせる。

「あの時のことを忘れないように」

 5月14日の1戦目。西野が5回を投げて1失点で3勝目を挙げた。「ボクも大嶺さんからアパレルをいただいて、めちゃくちゃ着ていますよ。あの時の事を忘れないように。大嶺さんが最初に手術をして色々と教えてもらい、励ましてもらった」と西野は振り返る。5月15日の2戦目は種市が先発。8回無失点ながら勝ち星はつかなかったが、気迫のこもったピッチングを見せた

 バックネット裏の解説席で2試合を見守った大嶺さんは、優しい目をグラウンドの後輩たちに向けていた。

「西野と種市。偶然ですけど、“トミー・ジョン仲間”が好投してくれた。すごく嬉しい2日間でしたね」

経営者として多忙な日々

 現在は東京・門前仲町で手羽先と石垣牛など故郷から取り寄せた食材をつかった飲食店を経営している。大嶺夫婦とアルバイト4人で仕込みから片付けまで行う忙しい日々を送る。

「野球と一緒で準備を大事にしている。どんな時も絶対に手を抜かないことを心掛けています」

 肩書は代表取締役。経営者としても忙しい日々を送っており、解説のため訪れた沖縄でも午前中に商談を3つほどこなしてから球場入りしたのだという。

「本当に充実していますね。野球選手だったら絶対に出会えない人と会える。そういう人たちとのつながりが楽しい。多種多様な職種の人。飲食の仕事をしていなかったら出会えなかった。そういう人たちと話をするのは本当に勉強になるし楽しい」

「電車に乗るのが怖い」18歳の頃

 18歳でプロ入りした当時、大嶺さんは「電車に乗るのが怖い」と話していた。「時々、海が恋しくなるのです」。そう言って、時間があれば海を眺めにいっていた若者が今、第二の人生に力強く一歩を踏み出している。店にはマリーンズファンや、野球を愛する人たちがたくさん訪れるという。そんなお客さんと交流し、ぶらりとお店に入ってきた一期一会の出会いを大切にしているのだ、と言う。

 現役時代に、大嶺さんから沖縄のエピソードを聞いたこともあった。ちょうどケガなどで苦しんでいる時期だった。

「爬竜舟」に人生を重ねて

「沖縄には海の安全や豊漁を祈願する船の競争があって、これに参加する船のことを爬竜舟(はりゅうせん)と言うんです」

 そして続けた。

「でも、この競争を見に来てくれるお客さんが一番沸くのは、船が転覆して、それを必死に起き上がらせてまた漕ぎ出す、そういう場面なんですよ。人生も一緒。ボクも一緒。失敗しても、苦しく辛い日々が続いても、また起き上がって立ち向かう。そういう姿をファンの方には見てもらいたいと思っています」

 プロ通算129試合に登板し29勝35敗。多くの注目を集めて入団した右腕にとってプロ野球人生は怪我との闘いでもあり、決して順風満帆な日々ではなかった。ただ、どんな時も起き上がって立ち向かい、闘う男の姿がファンを魅了した。その姿は今も同じ。フィールドを変えても、準備を大事にしながらアグレッシブな毎日を送っている。そこには「Recuperar」を果たした男の姿がある。

文=梶原紀章(千葉ロッテ広報)

photograph by Chiba Lotte Marines