幼いときから優秀だった30代男性はいじめをきっかけに無気力になり不登校に。自分でも無気力の原因がわからず、「理由なき不登校」だと追い詰められた。誰も知り合いのいない高校に進み、ひきこもりから脱したが、頑張り過ぎたのか精神を病んでしまう。そんな男性があるきっかけで社会復帰への糸口をつかむ。(前後編の後編)

ある出会いで気持ちが好転

高校を卒業後も体調がすぐれず、家から出られなかった竹内健輔さん(仮名・39)。

ひきこもっていたときのような自責の念は消えていたが、情報を把握する能力が著しく落ちてしまい、外に出ると緊張して、1人では電車にも乗れなかったという。

だが22歳のころ母方の親戚に誘われて、3か月間、ある療養施設で過ごしたことが大きな転機になる。そこで出会ったのは、重い病を患った人たちだった。

「君は若いけど、薬の副作用で大変なんだってね」

竹内さんに、そう声をかけてくれたのは末期がんの患者だった。すでに余命宣告をされており、今日がXデーだという話をされて、竹内さんは衝撃を受けた。

「自分なんかよりずっと大変な状況なのに、私のことを気にかけてくださって……。自分が一番かわいそうだなんて言えないなと。私の場合、精神の病だから手も足もちゃんと動く。五体満足なことに感謝しなきゃいけないと生まれて初めて思えたんです。それから、気持ちが好転していったんですね」

自宅に戻ると担当主治医が変わっていた。竹内さんが飲んでいる薬の量に驚いて、すぐ半減してくれた。「自分に効くと思う薬を自分で選んで」と言われ、いらないと思う薬を減らしたら、ずっと苦しんでいた副作用がほぼなくなった。

頭もクリアになり動けるようになると竹内さんは障害者の支援機関である地活(地域活動支援センター)を訪れた。父親が購入したパソコンで、自分で検索して見つけたのだという。

「自分も何かしなきゃダメだなと思って。私が通っていた高校は定時制で生徒の3分の2は仕事しながら学校に来ていたんです。働きながら学んでいる人はすごいなーと憧れていたんですよ。前向きになれたのは彼らの姿を見ていたおかげですね」

地活で勧められて始めたのは、作業所の手伝いだ。古紙回収のトラックの荷台に乗り、回収した古紙を整列させながら積み込む。

「テトリスみたいで楽しかったですよ(笑)。長年、カラダを思うように動かせなかったから、自由にカラダを動かせるだけでうれしいぜって感じで、めちゃくちゃ疲れてるはずなのに、喜びしかなかったですね」

自分の辛い経験が役に立つ

ボランティア活動などを経て、27歳で社会復帰をする。一般の会社に障害者枠で雇用され、事務仕事をこなした。仕事をしながらカラダを鍛えて、薬をゼロにすることもできた。

ところが、30歳のころ急激に精神状態が悪くなる。

竹内さんは端正な顔立ちで気配りもできる。仲よくなった女性がいたのだが、彼女との関係で悩むようになったことが引き金だった。

入退院をくり返し、一時は医者も「もうよくなることはない」とあきらめたほど悪化したが、驚異的な回復を遂げた。

「主治医の言葉をそのまま引用すると、『君には後ろ盾になっている強い神様なような存在がいるんだと思う』と。とても精神科医の言葉とは思えないけど、それ以外に考えられないと言われたんです」

退院して地活にまた顔を出したら、地元で精神疾患の経験専門家養成講座が始まったことを知った。薬の飲み方を工夫して朝起きられるようになっていたので、竹内さんは思い切って3か月の講座を受講。2022年3月に修了後、経験専門家として活動を始めた。

精神疾患の患者の中には、以前の竹内さんのように家にひきこもっている人もたくさんいる。

保健師が「当事者の家を訪ねてドアを叩いても返事もしてくれない」と嘆くのを聞いて、竹内さんは「私もそうでしたが、それをありがたいと感じるのは、10年、20年後、その人が外に出た後だと思いますよ」とアドバイスした。すると、保健師はホッとした表情を浮かべて、「それを聞いて仕事に戻れます」と言った。

「支援する専門家も心折れるんだと思います。何度行っても会ってもらえないと、こんなことをして何の意味があるんだと感じるみたいです。

私が外界をシャットアウトしていたときも、先生や友人など何度もドアを叩いてくれた人がいました。当時はドアを叩かれるのは苦痛だったけど、今はドアを叩いてくれた人たちにお礼を言いたいです。その後、病んだことで福祉にもつながることができた。そういう、たくさんの善意の人たちに出会わなかったら私はここにいないと思うから、自分にできることは何でもやろうと思っています」

当事者と経験者がお互いに支え合うピアサポートと呼ばれる活動にも取り組んでいる。昼夜逆転に苦しむ当事者に会ったとき、竹内さんが自分の経験を踏まえて「昼間に何もしないでいたら自責の念が生まれて昼夜逆転してしまった」と伝えると、その当事者は腑に落ちたのだろう。「昼間やることを決めて必ずやるようにしたら、長年苦しんだ昼夜逆転から抜け出せた」と後日報告してくれた。

「“竹内さんのおかげです”と感謝されて。小さなことかもしれないけど、僕が経験してきたことが役に立つんだなあと思って、うれしかったですよ」

兄を救ったひとつの言葉

竹内さんが講座を受けたことがきっかけで、竹内さん自身と家族にも、劇的ともいえる変化があった。

鍵となったのはオープンダイアローグ(開かれた対話)だ。統合失調症の患者を対話で回復に導くための手法なのだが、そのおかげで結果的に兄を救うことができたのだという。

「オープンダイアローグでは感じていることをそのまま口に出すことが大事なんですけど、それを学んだ後に兄が実家に来たんです。母親と兄と3人で話をしていて疑問に思ったんですよ。兄は自分の考えは話すけど、感じていることは何もしゃべってないなって。なんで自分にそんな勇気があったのかわからないんですけど、直接兄に聞いたんです。『感じていることを話してよ』って。

そうしたら最初は戸惑って思考停止しちゃったんだけど、突然、堰を切ったように、バーッと話し出したんです。学生時代からの苦悩とか、結婚生活の不満とか、子どもに対しての気持ちとか、感じたまんま全部。

もともと兄はプライドが高くて、弱い部分を見せない人だった。それなのに『俺、自分が大丈夫かどうかもわからない』と言ったので、精神的に追い詰められていたんだと思いましたね」

竹内さんの兄は偏差値の高い大学を卒業して公務員になった。ところが社会に出て初めて、「自分は他人の心がわからない人間だ」と気がついたのだという。

例えば、自分の態度が原因で同僚が泣いていても、どうしてなのかわからない。人の気持ちを察したり空気を読むこともできない。悩んで上司に相談したら、上司は「そういう特性を持っていることを認識しながら働いて」と言ってくれた。さらに職場のみんなと共有して配慮してくれたので、仕事を続けることができたそうだ。

「自分は発達障害だと思う。気持ちをわかろうと思っても、わからないんだよ!」

悲痛な叫び声をあげる兄を見て、竹内さんはびっくりして返す言葉もなかったという。

「そうしたら母も『お父さんは自覚していないけど、お父さんも(兄と)同じだ』って。父のことをおかしいなと思いながらも、ずっと口にしちゃいけないと思っていたみたいです。

私は兄と母の言葉を聞いて、初めて理解できたんですね。父も兄もあんな非人道的な行動をしていたのは、悪気があったわけじゃなく、気持ちがわからなかったからだと。で、それを境に、2人への遺恨みたいのがなくなっちゃったんですよね」

発達障害の一つであるASD(自閉スペクトラム症)の人は、気持ちを察するのが苦手な傾向がある。ASDの夫や妻を持つ人が、パートナーとコミュニケーションが取れずに苦しむ状態をカサンドラ症候群と呼ぶが、家族にも起こりうる。竹内さんも、「自分と姉はカサンドラ症候群だったのでは」と考えている。

その後、兄が子どもを連れて実家に来たとき、普通の会話の中で姪っ子がさらりと言った。

「パパは気持ちがわからない人間だからね」

竹内さんは驚いたが、兄が自分の家族にも話したのだと確信した。

それからまもなく、竹内さんも自分がいじめられていたことを、初めて母親に打ち明けた。すると、母はこう言って悔しがったという。

「なんでそのときに言わなかったの? 学校に怒鳴り込みに行ったのに!」

初めてつながった家族の絆

今年の正月には、実家に兄と姉が家族を連れて来て、3世代揃って写真を撮ることができた。それまでは兄が姉夫婦と会いたがらず、全員で集まる機会がなかったのだ。

「こんな写真は一生撮れないと思っていたから、冥途へのお土産ができたよ」

母は涙を流さんばかりに喜んだという。

「家族の絆がつながって、一番よろこんでいるのは母です。兄、姉と私の関係がギクシャクしたままだったら、自分たち親が死んだ後どうするんだろうって、私のことが心配だったみたいで。

母には最近、こんな風にも言われました。もし、あなたが病まないで順調に成長していたら、能力は高くても、きっと人のことを簡単に切り捨てるような嫌な人間になっていたと思う。どうなっていたか想像すると怖い。だから、病んでよかったのよって」

竹内さんは現在、主治医から就労を禁じられており障害年金を受給している。目が悪くなってきた母親の代わりに、掃除をしたり料理を作ったりすることも増えてきた。支援活動も、家族みんなに応援されて続けている。今後は当事者の話などをもっと広く発信できないかと考えているそうだ。

「高校時代とかは100パーセントでやろうと頑張り過ぎて失敗したから、30パーセントくらいでやろうと。うまくいかなくても、まあ、30パーセントだから仕方ないと逃げ道があるし(笑)、ちょうどいいかなって」

そして、「頑張り過ぎないことが大事なんですよね」と、自分に言い聞かせるように、くり返した。

取材・文/萩原絹代