それぞれ4回目の米国五輪代表となるジェームズ(左)とデュラント photo by AP/AFLO

 パリ五輪の男子バスケアメリカ代表が4月上旬に発表され、その豪華な顔ぶれで早くも世界中の注目を集めている。だが、良い選手を集めるだけでアメリカが勝てる時代はすでに過去のこと。NBA選手の五輪出場が解禁された1992年バルセロナ大会以降、アメリカ代表も世界のバスケットボールが進化するなか、さまざま紆余曲折を経ながら学び、そして世界一を手にしてきた。今回は、ここ数回のオリンピックと比較しても、個としてチームとしても金メダル獲得のため周到な狙いが色濃く見える。

【特別な名誉をサプライズで演出】

 4月上旬、NBAレギュラーシーズンが終了に近づいていた頃、アメリカ・バスケットボール男子代表のマネージング・ディレクター(総責任者)を務めるグラント・ヒルは、全米各地を忙しく飛び回っていた。少し前にパリ五輪に出場するアメリカ男子代表12人を確定させ、4月17日にはパリ五輪開幕100日前の朝にテレビ番組で発表することになっていた。

 その正式発表の前に、12人全員に直接会い、代表入りを伝え、ユニフォームを手渡ししようとしていた。さすがにひとりでは難しかったため、代表ヘッドコーチ(HC)のスティーブ・カー(ゴールデンステイト・ウォリアーズHC)や、アシスタントコーチのティロン・ルー(ロサンゼルス・クリッパーズHC)、エリック・スポールストラ(マイアミ・ヒートHC)、そして代表チームディレクターのショーン・フォードと分担し、ヒルは12人のうち7人の選手を受け持ったという。

 最初に訪れたのはジョエル・エンビード(フィラデルフィア・セブンティシクサーズ)。国際大会でのサイズ不足、ビッグマン不足という弱点を持つアメリカにとって、エンビードは重要な戦力だ。カメルーン出身で、2022年にフランスとアメリカの国籍も取得したエンビードのことは、フランスとアメリカがそれぞれ代表に勧誘していた。ヒルも何度かエンビードと面談し、アメリカ代表としてプレーしてほしいと誘い、返事を待っていた。その返事が届いたのが昨年10月5日、ヒルの51歳の誕生日だった。エンビードからアメリカ代表として戦う決断を伝えられたヒルは、「ここ最近のなかでは最高の誕生日プレゼントだった」と喜んだ。

 4月12日、シクサーズがホームで勝利をあげた試合で、ヒルはエンビードに見つからなようにハーフタイムにウェルズ・ファーゴ・センター(シクサーズの本拠地)に到着し、試合が終わるまで裏の部屋に隠れていた。試合後、家族に会うためにその部屋に入ってきたエンビードに、サプライズでアメリカ代表のユニフォームを渡したのだった。

「彼のうれしそうな顔を見ることができてよかった」とヒルはサプライズ成功を、そして強力なビッグマンの加入を喜んだ。

 その日の夜、サンフランシスコではウォリアーズの試合後にカーHCがステフィン・カリーにユニフォームを渡していた。FIBAワールドカップには2度出場し、2度とも優勝した経験があるカリーだが、オリンピックは今回が初出場。今回のアメリカ代表チームのなかで、オリンピック初出場の5人のうちのひとりだ。まだフィラデルフィアのホテルにいたヒルは、次の日は早朝の飛行機でミネソタに向かう予定だったため、一度は就寝したのだが、夜中の2時半に起きて、フェイスタイム(動画通話アプリ)で画面越しにカリーを祝福した。

「寝ぼけていたからステフに何を言ったかは覚えていないけれど、彼がすごくうれしそうに興奮していたのを覚えている。あれだけ多くのことを成し遂げ、バスケットボールのすばらしい大使の彼が、まるで小さな子どものようにあの瞬間を喜んでいたんだ」とヒルは満面笑顔で語った。

 睡眠不足になっても、移動が大変でも、こうして直接選手たちに伝えようとしたのは、それだけアメリカ代表に選ばれることがすばらしいことだと伝え、USAバスケットボール(アメリカ代表の呼称)としての感謝の気持ちを最大限に表わすためだった。

「目立たないように、それでいて選ばれたそれぞれの選手たちにとって特別な瞬間を作り出すことは簡単ではなかったけれど、うまくできたと思う」とヒルはあとから振り返った。

【1992年と2008年――今につながるふたつの原点】

 今のアメリカ代表の原点となるチームがふたつある。ひとつは1992年バルセロナ五輪での元祖『ドリームチーム』。オリンピックがプロに門戸を開き、国際バスケットボール連盟(FIBA)もプロ選手の国際大会出場を解禁したあとの最初のオリンピックでのアメリカ代表チームだ。マイケル・ジョーダンやマジック・ジョンソンら、当時のスーパースター選手たちが集って結成されたチームで、圧倒的な強さで金メダルを獲得し、世界中に『ドリームチーム(Dream Team)』旋風を起こした。

 もうひとつは2008年の北京五輪での『リディームチーム(Redeem Team)』。バルセロナ五輪後もオリンピックのたびに豪華メンバーでアメリカ代表が編成されたが、次第に"寄せ集めチーム色"が強くなってチーム力が低下。一方で、『ドリームチーム』に影響を受けた世界各国の実力は向上し、年々、その差が縮まり、2004年のアテネ五輪ではついにアメリカは金メダルを逃して銅メダルに終わってしまった(準決勝で優勝することになるアルゼンチンに敗退)。

 そこで失われた威厳を取り戻そうと結成されたのが2008年の北京五輪代表だった。NBAを代表するベテランと若手のスーパースター選手たちが一体となって戦い、金メダルと、バスケ王国、アメリカの威信を取り戻した。この時のチームについては、のちにドキュメンタリー『リディームチーム 王座奪還への道』(ネットフリックス)が制作されており、ヒルはエンビードにアメリカ代表への理解を深めるためにも、このドキュメンタリーを見るように勧めたという。

 パリ五輪のアメリカ代表に最年長39歳で選ばれたレブロン・ジェームズ(ロサンゼルス・レイカーズ)も、この『リディームチーム』の一員だった。ジェームズはその前の、銅メダルに終わったアテネ五輪のチームに19歳で入り、苦い経験もしている。その後、北京五輪、ロンドン五輪(2012年)と3大会連続で出場してふたつの金メダルを獲得。今回は12年ぶり4回目のオリンピック出場となる。

 もうひとり、4回目のオリンピックとなるケビン・デュラント(フェニックス・サンズ)はロンドン五輪、リオデジャネイロ五輪(2016年)、東京五輪(2021年)で金メダルを取っている。まさに最近20年のオリンピック代表を率いてきたふたりと言ってもいい。


チーム編成の責任者・ヒルは1996年の五輪金メダルメンバーだ photo by Reuter/AFLO


【世界で勝つための個の力と対応力】

 このふたりとカリー、エンビードの4人でNBAのMVPを8回受賞しているのだから、その4人が代表入りしたことだけでもすごいことなのだが、ほかのメンバーも全員がNBAのオールスター級ばかり。弱点だったビッグマンも、エンビード(213cm)に加えてアンソニー・デイビス(レイカーズ、208cm)、バム・アデバヨ(マイアミ・ヒート、206cm)とNBAを代表する、ディフェンス力も備えたビッグマンが3人揃い、世界のさまざまなビッグマンと戦うための戦力が揃った。

 ヒルも、「これだけのビッグマンが揃ったのは久しぶりだ。私がプレーした1996年(アトランタ五輪)でアキーム・オラジュワン、デイビッド・ロビンソン、シャキール・オニールがいたとき以来かもしれない」と満足そうに語った。

 残りのメンバーはカワイ・レナード(ロサンゼルス・クリッパーズ)、ジェイソン・テイタム(ボストン・セルティックス)、デビン・ブッカー(サンズ)、ドリュー・ホリデー(セルティックス)、タイリース・ハリバートン(インディアナ・ペイサーズ)、アンソニー・エドワーズ(ミネソタ・ティンバーウルブズ)。

 22歳(エドワーズ)から39歳(ジェームズ)まで世代を超えた12人で、殿堂入り確実なベテラン選手から、この先のNBAの顔となりそうな若手まで揃っており、1992年の元祖『ドリームチーム』にも勝るとも劣らない豪華メンバーだ。と同時に、『リディームチーム』の時のように、チームとしてのケミストリーも意識したメンバー選出にもなっている。

 世界の各国が力をつけてきているなかで、個々の選手の実力とチーム力の両輪が揃わないと対抗できないからだ。地元フランスをはじめ、カナダ、ドイツ、オーストラリア、セルビアといった国々が、アメリカを倒そうと戦いを挑んでくることは間違いない。

 ヒルはメンバー選出で意識したこととして、サイズ、国際大会での経験、そしてすべてのポジションにおけるディフェンスをあげた。

「対戦相手のことも理解しなくてはいけない。さまざまなスタイルの国があるなかで、私たちも、どんなスタイルを相手にしても戦えるようなロスターを組んだ。必要だと思っていたことはすべて網羅できたチームだと思っている」と胸を張った。

 目標は金メダル。ヒルも「最終的には金メダルこそが、私たちを評価するためのスタンダードだ」と断言する。それだけ、常勝を求められてきたのがオリンピックでのアメリカ代表であり、それは今回も変わりない。

 アメリカ代表は、NBAシーズン終了後の7月上旬にラスベガスに集結。トレーニングキャンプと強化試合を経て、パリ五輪での5大会連続金メダルに挑む。

著者:宮地陽子●取材・文 text by Miyaji Yoko