オリックスの高卒2年目・内藤、大怪我は「2年連続ですから…」

 何度、自問自答を繰り返したことだろう。オリックスの高卒2年目、内藤鵬内野手は宮崎春季キャンプ中の練習試合(2月17日)で左肩を脱臼し、怪我から4日目に手術を決断した。「この前から期間が空いていれば迷わなかったと思いますが、2年連続ですから……」。そう声を絞り出したのには理由がある。

 日本航空石川高時代に通算53本塁打を放ち、スケールの大きい内野手として2022年ドラフト2位でオリックスに入団。プロ1年目の春季キャンプから持ち前の打撃力をアピールしたが、「4番・三塁」で出場した昨年5月5日のウエスタン・リーグ阪神戦(甲子園)で走塁中に相手野手と交錯し、左膝を負傷。昨年5月9日に左膝鏡視下外側半月板縫合手術を受け、昨年10月19日のみやざきフェニックス・リーグで実戦復帰したばかりだった。

 前回手術から1年も経たないうちの大怪我に「またリハビリに半年。しんどさは前回の手術でわかっていますから、正直、頑張れる気持ちが湧いてきませんでした」。チームドクターから「手術をすれば半年はかかるが、再発の可能性はほとんどない」という診断に、多くの人から「まだ若い。経験を積んでバリバリ活躍している時に再発することを考えたら、早ければ早い方がいい」と手術をすすめられたが「しないです」と拒み続けた。

 長いリハビリ期間以上に、調子を上げてきた打撃を無駄にしたくない気持ちが強かった。怪我をした社会人との試合で「4番・三塁」で起用されるなど、順調に復帰への地歩を固めつつあった。「バッティングの調子が良い感じだったのに『またゼロからか……』と考えると、リスクがあっても(そのまま)やりたいなと。次また(脱臼を)やってしまったら手術をすればいい」と先送りを納得させる自分がいた。

 それでも「手術をしない」と決めるまでに、3日かかった。チーム関係者のアドバイスに、心は揺れた。福良淳一GMに「手術はしません」と伝えると「そりゃ、そう思うわな。また、こっちも考えてみる」と返事があった。選手の気持ちに沿って考えを尊重してくれた福良GMには感謝の気持ちしかなかった。

 それから1日後、事態は急変する。夕方、宿舎のベッドに仰向けになっていると、突然と左肩が痛み出した。「この痛みと付き合いながら野球をやるのか。痛みが引いても、また脱臼したらこの痛さを味わわないといけないのか……と考えたら、若いうちに手術をした方がいいのか、とふと思ったんです」。すぐに球団トレーナーに「手術をします」と連絡を送った。

 福良GMからは「2年連続での手術できついかもしれないけれど、うちの主力になる選手だから、しっかり治してほしい」と温かい言葉が返ってきた。だからこそ、焦る心を鎮めることができた。

支えられた「スーパースターになるんやから」の言葉

 今年2月28日に神戸市内の病院で手術し、3月11日に退院した。「牧田さん(勝吾・オリックス編成部副部長)からも『スーパースターになるんやから』とずっと言ってもらえ、入院中も毎日、連絡をいただきました」と感謝する。

 傷口が化膿しないよう汗をかく練習はできず、大好きなサウナも封印する日々だったが、3月末に左肩を固定していたギプスが外れ、グラウンドでジョギングもできるようになった。4月中旬からは両手でバットも振っている。

 運動量が少ないため、ダイエットで体重をコントロールしている。お米は1回の食事で100グラム。「三口で食べ終わってしまいます……。おかずは魚と野菜、味噌汁だけです。胃袋が小さくなったのか、我慢ができるようになりました。お腹が空けば、トレーニング室のランニングマシンで体を動かすか、水を飲んで寝るだけです」と摂生に励む。

 苦しいリハビリだが、最近はうれしいこともあった。ギプスが取れて、体を動かせるようになったことで、2週間に1度は制限を外す。「『チートデー』ですね。前回の外出許可の時は、池田さん(陵真・外野手)に焼き肉を食べに連れて行ってもらいました」。肉を口にしたのは約2か月ぶり。気分転換にもなり、先輩の心遣いが有り難かった。

 現時点での復帰予定は8月が見込まれる。「膝の手術の後は、初心者が1か月くらい野球をしたような感覚で、今回は初心者が1年くらいやった感じ。ちょっとマシですけど、バットを構えてもフワフワしている感じで、自分がどう構えているかもわからないんです。もうゼロからですね。でも今、頑張らないとアカンと思います。支えて下さっている方々のためにも、この時間を無駄にしたくありません」。痛みと戦いながら肩の可動域を広げる毎日。焦ることなく復帰への道を歩む。(北野正樹 / Masaki Kitano)