レアル・マドリー、ドイツ代表のMFとして輝かしいタイトル歴を誇り、今なお中心メンバーとして信頼を寄せられている34歳のトニ・クロースだが、5月21日、母国開催となるEURO2024でのプレーを最後に、現役選手としてのキャリアに幕を下ろすことを発表した。

 技術と創造性を活かしてのチャンスメイクや得点力、そして的確にゲームをコントロールする能力を有するキックの達人は、バイエルンでブンデスリーガ3回、チャンピオンズリーグ(CL)1回、マドリーではラ・リーガ4回、CL4回を制するのに貢献し、クラブでの合計獲得タイトル数は34に到達。代表チームでも2014年のブラジル・ワールドカップで悲願の世界一に輝くなど、無数の勲章を手にしてきたが、引退を発表した今なお、彼にはまだCL、EUROのタイトルが最後に加わる可能性がある。

 ドイツ・サッカー史に残るレジェンドであり、サッカー史においても稀にみる成功者のひとりとして記憶されるであろうクロースに対しては今、多方面からその偉大なキャリアに対する敬意が表せられるとともに、各国メディアもあらゆる形で彼の足跡にスポットライトを当てているところだ。
  その中の幾つかは、この34歳がまだサッカー界のトップシーンで活躍を見せており、また代表では一時引退を表明するも、ユリアン・ナーゲルスマン監督の要請に応じて復帰し、いきなり結果を出してチームの救世主的存在になるなど、一線級の働きを見せている彼の早すぎる引退を惜しむ意味もあってか、過去の「全盛期のまま引退した選手」を取り上げている。

 ブラジルの総合メディア『Globo』は、大きな身体的な衰えやプレー面で下火になっていた選手ではなく、「まだまだやれる」状態で30代前半、もしくはそれ以前にユニホームを脱いだトッププレーヤーとして、まず1998年に初めてW杯(自国開催)を制したフランスの英雄であるジネディーヌ・ジダンを選定。34歳のとき「最後の舞台」と決めて臨んだ2006年ドイツW杯で獅子奮迅の活躍を見せて母国を決勝まで導き、最後は印象的なマルコ・マテラッツィ(イタリア)への頭突きで退場となるも、大会MVPに輝いた。

 同メディアからは「頭突きの場面を見るに、身体ほどメンタル面は健全ではなかったのかもしれない」と皮肉気味に指摘されたジダンに続いて名前が挙げられたのは、フィリップ・ラーム。バイエルンとドイツ代表で、SB、MFの両方でハイレベルなプレーを披露し、キャプテンとしてもチームを牽引した彼は、「サッカーの最高峰に立ったまま」、2017年に33歳でピッチに別れを告げている。 次は1990年代に遡り、33歳で栄光のキャリアを締めたオランダのフランク・ライカールだ。ルート・フリット、マルコ・ファン・バステン(彼も31歳と引退は早いが前述の理由でここでは選外)とのオランダ・トリオでミランの黄金時代を創生し、中盤での多彩な働きから、当時は世界で最も価値がある選手といわれた。抜群の存在感でアヤックスをCL優勝に導いたキャリア最後の舞台の相手は、奇しくもミランだった。

 彼より若い30歳でピッチを去ったのは、フランスの天才にしてトラブルメーカーのエリック・カントナである。類まれな攻撃の能力を持ちながら、「カンフーキック」に代表されるように、しばしば起こる癇癪や素行の悪さがそのキャリアを苦境に追い込んだが、国内外の多くのクラブを渡り歩いて1992年にマンチェスター・ユナイテッドに辿り着いた彼は、ここで鮮烈なパフォーマンスを発揮してプレミアリーグ黎明期のスターとなり、マンUの後輩たちの成長にも大きく寄与して、1997年春に引退を宣言し、世界を驚かせた。

 そのカントナのイングランド行きをフランス代表監督として助けた“将軍”ミシェル・プラティニも、32歳の若さで現役生活を終えている。1986年メキシコW杯で世界制覇の夢が潰えた後のシーズン、ディエゴ・マラドーナ擁するナポリ(優勝)とのマッチレースでは、変わらずユベントスの司令塔として重要な役割を担い、最終節でユベントスのユニホームを脱いだ。引退も早かったが、翌年にはナーゲルスマンより若い33歳での母国代表監督(実質)就任を果たしている。
  そして、最後に紹介されたのが、2006年W杯のグループリーグ最終戦ブラジル戦を最後に、当時は珍しいウェブページでの引退を発表した中田英寿。イタリア、イングランドのクラブを渡り歩き、これから円熟期を迎えるはずの29歳で選手としての歩みを止めた「ヒデ」について、同メディアは「他の選手ほどの実績はないかもしれないが、中田の引退は非常に予想外だった」として、以下のように続けた。

「日本サッカー界から輩出された中では最も偉大な才能のひとりであり、『アジアのベッカム』と呼ばれることさえあった。彼はプレミアリーグのボルトンでプレーしていた2006年、自身3度目のW杯に出場した後、引退を発表した。数年後、彼は『サッカーへの愛情を失ったため』であると説明している」 錚々たるサッカー界の偉人たちとともに、その名を並べることとなった中田だが、スポーツ専門サイト『GIVEMESPORT』の「あまりに早く引退したサッカー選手14人」というランキング形式の記事においても選定されている。なお、ここでランクインした14選手は以下の通り。

1位:ジョージ・ベスト(28歳/北アイルランド)
2位:ジネディーヌ・ジダン(34歳/フランス)
3位:ミシェル・プラティニ(32歳/フランス)
4位:マルコ・ファン・バステン(31歳/オランダ)
5位:エリック・カントナ(30歳/フランス)
6位:トニ・クロース(34歳/ドイツ)
7位:ジュス・フォンテーヌ(28歳/フランス)
8位:アラン・シアラー(29歳/イングランド)※代表チームのみ
9位:パトリック・クライファート(32歳/オランダ)
10位:ブライアン・ラウドルップ(31歳/デンマーク)
11位:セルヒオ・アグエロ(33歳/アルゼンチン)
12位:ピエルイジ・カジラギ(28歳/イタリア)
13位:中田英寿(29歳/日本)
14位:エノック・ムウェプ(24歳/ザンビア)
年齢は引退時
  なお、同メディアは中田のキャリアを「彼はキャリアをボルトンで終えたが、90年代後半から2000年代初めにかけて、おそらくは地球上で最も優れたアジア人選手のひとりだった。日本代表として、彼は主にセリエAのペルージャ、ローマ、パルマで輝き、また、2002年W杯を日本と韓国が共催した際には、自国の全試合に出場した」と振り返った。

 また、引退やその後のことについては「2006年当時、まだ29歳だった中田は、単純にサッカーを楽しんでいないことを明らかにし、自分の時間を他のことに使いたいと考えていた。ただし、彼は声明の中で『僕はもうプロのサッカー選手としてピッチに立つことはないが、サッカーを諦めることはない』と強調した。彼の次の情熱はファッションであり、彼は定期的にランウェイショーに出席している。しかし最近では、『Forbes』誌によると、彼は日本の伝統的な酒産業の再活性化に従事中だ」と綴っている。

構成●THE DIGEST編集部

【動画】キックの名手トニ・クロースのプレー集
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