「喉から手が出るほど、欲しい――」

高級ジュエリーに、有名ブランドのバッグ。

その輝きは、いつの時代も人を魅了する。

しかし誰もが欲しがるハイブランド品は、昨今かなりの品薄状態だ。

今日もショップの前には「欲しい」女性たちが列をなし、在庫状況に目を光らせている。

人呼んで「ハイブラパトローラー」。

これは、憧れの一級品に心を燃やす女性たちのドラマである。

▶前回:百貨店の外商顧客でも入手困難な名品バッグ。もどかしさに暴走したセレブに夫がかけた言葉とは…



ITベンチャー営業事務・亜美(25)
やり直す女【ヴァン クリーフ&アーペル フリヴォル イヤリング】


「亜美、別れよう。亜美もバカだけど、俺も相当なバカだった」

私は今、2年間同棲している彼氏の俊哉から、別れ話を切り出されている。

「え…。トシくん、嘘だよね?私たち3年も付き合って、同棲までしてるんだよ?」

半笑いで聞き返しながら、かつて俊哉からプレゼントされたオニキスのアルハンブラ リングに目を落とす。

「私の誕生日には、ジョエル・ロブションに行こうって言ってたじゃない。プレゼントのマジック アルハンブラも予約してくれたのに…。まだ受け取ってないよ?」

オニキスの周りを縁取るゴールドビーズを指でそっとなでながら、俊哉に問いかける。

「そういうところだよ」

俊哉はおもむろにリビングの椅子から立ち上がると、ベッドルームからリモワのスーツケースを引っ張ってきた。

「亜美の王子さまになりたくて、家事もプレゼントも望むようにやってきたけど、これじゃあ王子じゃなくて奴隷だよ。亜美の顔が好きすぎてつい続けてきたけど、もうこれ以上無理だ」

俊哉はそう言うと、青山一丁目駅すぐのところにある同棲中のマンションから出て行ってしまった。

3年前、私が港区で無双していた時代に出会った俊哉。

家事も生活費もすべてを彼に頼っていた私は、玄関でぼうぜんと立ちすくむ。

意を決して部屋を見ると、もう彼がいた形跡は一切ない。私との別れを周到に準備していたのだろう。

まるで初めから俊哉がいなかったかのような錯覚に襲われた私は、慌てて寝室からジュエリーボックスを取り出し、開く。

― 良かった。トシくんからのプレゼントはそのままだ。

誕生日や記念日に、俊哉が1つずつプレゼントしてくれたアルハンブラシリーズの数々を見て、ほっと胸をなでおろした。


俊哉に1番初めにもらったのは、マザーオブ パールのスウィート アルハンブラ ペンダントだ。

これを買ってもらった日は運よく店内に同じペンダントが数本あり、パールの色味を慎重に選んだことを思い出す。

― もう、トシくんと一緒にジュエリーを選ぶこともないんだ。

柄にもなく涙が出そうになったが、「ピロン」という銀行のアプリからの通知に我に返る。

スマホを手に取ると、「セイカツヒ」という名目で、俊哉から100万円が振り込まれていた。

― 急に出ていった罪滅ぼしのつもり?まあ、いただいて、今度の週末このお金でジュエリーでも買おう。

「亜美:トシくん、幸せになってね」

私は俊哉に別れのLINEを送る。こうして、3年間の交際はあっけなく終わりを告げたのだった。



次の土曜日、私はヴァン クリーフ&アーペル 伊勢丹新宿店に行って、担当さんを訪ねた。

― ここでトシくんとマジック アルハンブラのネックレスを注文した時、「これが婚約指輪代わりになるかも」なんて担当さんとこっそり笑い合っていたのにな…。

アルハンブラには俊哉との思い出が詰まり過ぎている。だから今日はフリヴォルのピアスを買おうと決めた。

イエローゴールドの花びらの中に佇む小さなダイヤ。可愛らしいデザインなのに、不思議と気品が漂っているのが魅力のアイテムだ。

まだ実物をつけたことはないけれど、私にきっと似合うはずだと思う。



担当さんは、いつも一緒に訪れていた俊哉の不在には一切触れない。私は心の中で感謝しながら、希望のジュエリーの名前を口にする。

「フリヴォルのピアスが欲しいんです」

すると彼女は、申し訳なさそうに言った。

「今はあいにく在庫がございません。納期もわからないので、オーダーストップとなっております」

― 3モチーフのピアスはそこそこ高額のはずなのに、売り切れだなんて。

「他の店舗の在庫はどうですか?あと…彼が注文していたマジック アルハンブラの納期って、いつ頃でしょうか?」

失礼とはわかっていながら聞くと、担当さんはタブレットを見ながら笑顔で答えてくれた。

「今は全国でオーダーストップです。運がよければ他店舗で出たキャンセル分が買えるかもしれませんが。それと、ご注文いただいたアルハンブラネックレスですが…先日キャンセルを承っております」

― キャンセル?トシくん、いつの間に…。

私は愕然として新宿店を後にし、銀座本店に向かうことにした。

― 残念だけど、マジック アルハンブラはもう諦めよう。今日からはフリヴォルを目標にする!





俊哉と別れて2ヶ月が経った。

私はかつてのように夜の港区に舞い戻り、お食事会に参加しながら、空いている時間でフリヴォルを探すパトロールをしている。

俊哉の厚意で住んでいたマンションの家賃は今でも払ってもらっているが、次の更新までに引っ越しもしなくてはいけない。

― 私の給料では、今の生活もキープできないし、早く次の相手を見つけなきゃ。

普段は、ヴァンクリのジュエリーに合うように、シンプルな服装ばかりしていたが、今は男性ウケを狙って、リボンやフェイクパールがあしらわれた服装で過ごしている。

あざとく肌を見せた化学繊維の服。

2年もの間、俊哉が奴隷に甘んじたほどの私の美貌は、まだまだ夜の港区では無双状態だ。

「ねえ、亜美ちゃんって本当に彼氏いないの?もし良かったら、付き合ってよ」

今のところ一番条件がいいのは、経営者の篤志さん。

12歳上なのが気になるが、彼となら幸せになれそうな気がする。

一方、ヴァンクリパトロールは惨敗中だ。

持っているアルハンブラシリーズを全部つけて、ヴァンクリ愛をアピールしても、何も対応は変わらない。

― お金を出していた俊哉がいないだけで、全然相手にされないのね。

ある金曜日の夕方、日本橋三越のパトロールに惨敗した私は、篤志さんと付き合うことを決めた。


「亜美ちゃん、彼女になってくれるの?嬉しいよ。早速だけど、付き合った記念に何かプレゼントさせて」

― 来た!

交際OKの返事をすると、早速私の望んでいた展開が訪れた。

「私、ずっと欲しいピアスがあるんです。篤志さんのツテで、なんとかなりませんか?」

小首をかしげてお願いすると、篤志さんは顔を綻ばせて言った。

「もちろんだよ。欲しいピアスのスクショ送って。ちょっと時間はかかるかもしれないけど、必ず喜んでもらえると思うよ」

私は喜んでフリヴォルのピアスのスクショを送った。



1ヶ月後、久しぶりのデートで篤志さんはアマン東京の『アルヴァ』を予約してくれた。

― 私、お寿司が食べたいって言ったのにな。

「ジャーン」と言って篤志さんから差し出されたジュエリーボックスを開けると、正三角形のプラチナ土台にダイヤがあしらわれた、不思議なデザインのピアスが現れる。

「何これ?」

心底不思議に思って尋ねると、篤志さんはニコニコ笑いながら言った。

「亜美ちゃんが欲しがっていたピアスだよ。もらったスクショに、俺なりの解釈を加えて、知り合いの宝石商に頼んだ世界に1つだけのピアス」



― はあ?

「実は、今日ここに部屋を取ってて、そのピアスに合う服も部屋に届けてあるんだ。必ず着てね。あ、クリスマスプレゼントのリクエストも聞いちゃおうかな」

ぼうぜんとしながらコース料理を胃に流し込んで、篤志さんが予約してくれていた部屋に向かう。

ベッドの上に置かれていた、袖がポワンと膨らんだワンピースを見て、私は震えた。

― ザ・女の子ファッション!でも、ここで頑張ればクリスマスプレゼントにはフリヴォルをくれるかも…。

瞬時に判断すると、私はバルーンスリーブに腕を通し、もらったピアスをつけて篤志さんの前でくるりと回った。



「篤志さん、こんにちは」

クリスマスが終わった冬のある日、私は篤志さんが住む赤坂のサービスアパートを訪れた。

「亜美ちゃんいらっしゃい…って何その格好?」

私が着ているロロ・ピアーナのニットを見て、篤志さんは驚いている。篤志さんと会う時はいつもプレゼントされたガーリーな服を着ていたので、当然だろう。

胸には、大好きなヴァンクリのアルハンブラが輝いている。



「篤志さん、別れよう。篤志さんもバカだけど、私も相当バカだった」

篤志さんは、私にたくさんお金を使ってくれた。でも、自分の好みを悪気なく押し付けてくる男に用はない。

「なんで?あんなにたくさんプレゼントしたのに」

「そういうところだよ。篤志さんは自分好みに作り上げた女が隣にいて満足だったと思うけど、私はつらかった」

かすれた声で聞く篤志さんに、私は一気にまくしたてる。

「でも、篤志さんは悪くないよ。そもそも悪いのは、篤志さんを利用しようとした私」

私は、引きずってきたリモワのスーツケースを玄関に押し込むと、微笑んだ。

「これ、今までもらったプレゼント。今までたくさんお金を使ってくれてありがとう」

ごめんね、と言ってドアを閉めると、私はサービスアパートを足早に去った。

篤志さんに心底うんざりした結果、私はこの数ヶ月、死ぬ気で転職活動をしている。

誰かに頼って生きるのをやめ、欲しいものを自分のお金で買うと決めたのだ。

当分の間、フリヴォルなんて夢のまた夢だろう。

それでもいい。無意味なものに囲まれて自分をすり減らすより、私はずっと幸せなはずだ。

「私はまだ25歳。いくらでもやり直せる!」

サービスアパートのエントランスを出ると、私は広い空を見上げて深呼吸した。


▶前回:百貨店の外商顧客でも入手困難な名品バッグ。もどかしさに暴走したセレブに夫がかけた言葉とは…

▶1話目はこちら:お目当てのバッグを求め、エルメスを何軒も回る女。その実態とは…

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発売と同時に人気シリーズに躍り出た、ヴァンクリのあのシリーズとは?