蒸気機関車による鉄道が世界で初めて実用化された英国でなぜ成功できたのか。そこにはキーパーソンの存在がある。現地採用社員からスタートして本社副社長に上り詰めたアリステア・ドーマー氏だ。同氏へのインタビューを基に、日立の鉄道事業の歩みを振り返ってみたい。

ドーマー氏が日立の欧州法人に営業マンとして入社したのは2003年。当時の日立といえば1998年から駐在員を英国に派遣して2つの大型案件の入札に挑んだがどちらも失注していた。英国内で日立製の列車が走っているのを見たことがない現地関係者からは「日立の列車が英国で日本と同様に走れるとは限らない。絵に描いた餅。ペーパートレインだ」と揶揄されていた。

入社時の年齢は39歳。英国海軍を皮切りにブリティッシュ・エアロスペース、アルストムの英国法人に勤務した経歴を持つ。以前から日立の仕事ぶりについては熟知していた。「顧客第一主義の姿勢を尊敬していた」という。日立入社前に勤めていた会社では納期が遅れがちだったことを不満に感じていた。

アリステア・ドーマー 日立副社長 インタビューに答えるドーマー氏(撮影:尾形文繁)

「ペーパートレイン」の批判はねのける

入社してまず感じたのは、日立が行った過去2回の入札案件の内容は「非常に優れていた」ということ。にもかかわらず、なぜ受注できなかったのか。理由は簡単。「日立は英国の鉄道運行の仕組みが日本とまったく違うことを理解していなかった」。英国の鉄道は運行とインフラを分離した上下分離方式で運営されており、さらに運行事業者は自ら車両を保有することはせず、リースで調達する。

もう1つ付け加えると、日立のスタッフたちの英語力が必ずしも高くなく、PRも下手。技術の仕組みを説明するばかりで、その技術が運行事業者にどのようなメリットをもたらすのかを説明できない。

ドーマー氏の入社時、日立は英仏海峡トンネルの英国側出口とロンドンを結ぶ高速鉄道路線を走る鉄道車両「クラス395」174両の受注に狙いを定めていた。英語下手の日本人社員に代わり、「顧客と日立をつなぐ橋渡し役として、顧客と話をすることに多くの時間を費やした」。

class395 hitachi 日立が英国で高評価を得るきっかけとなったクラス395(記者撮影)

ペーパートレインという批判に対しては、本物の車両を日本から持ち込む代わりに英国の中古車両に日立の機器を搭載、実際に線路の上を走らせ、その性能を納得させた。さらに車両工場のある笠戸や鉄道システムの開発・設計などを行う水戸といった日立の国内事業所にも案内し、現場を見せることを徹底した。2005年、クラス395の入札に成功。納期を守ったことが高く評価されるというおまけまで付いた。「納期を必ず守ることも戦略に加えていた」と明かす。かつての勤務先で納期を守れないことに忸怩たる思いを抱いていただけに、納期順守はドーマー氏のこだわりでもあった。