子女の成長ぶりは“早替わり”そのもの。この春、一昨年から襲名披露興行を続けている十三代目市川團十郎白猿(46)の長女・ぼたん(12)は中学1年生に、長男・新之助(11)は小学6年生になった。何気ない出来事だが、梨園の歴史をひもとくと、また見え方が変わって――。

 ***

 2月に名古屋での襲名披露興行を行った團十郎。春休みには、ぼたんや新之助とマレーシア、バリ島への旅行を満喫、水入らずのひとときを過ごした。

 芸能記者によると、

「日に何度も更新される團十郎のブログは、子どもたちのことばかり。今月上旬には、ぼたんの中学校入学式にサンダル姿で参加したとの報道もありました」

 ブログにはこんなことも。

「最初の襲名披露を終えた昨年1月、新之助が2カ月学校に行っていなかったことを明かしたのです。このように興行で学校に行けないときには、家庭教師をつけているようです」

 なるほど、なかなか“皆勤賞”は難しそうな環境だ。

「興行で休んだ空白を埋めるために家庭教師をつけるのは普通で、中村勘三郎さんにも家庭教師がいました」

 とは、演劇評論家の水落潔氏。

「学校に行かなくていいという考えが支配的だった」

 そもそも、歴史をさかのぼれば、梨園では学校に行くこと自体が決して当たり前ではなかったという。

「戦前は、歌舞伎役者は学校に行かなくていいという考えが支配的でした。そのなかで際立って開明的だったのが、昨年亡くなった二代目市川猿翁の祖父にあたる、二代目市川猿之助です」

 演劇評論家の上村以和於氏が話を継いで言う。

「二代目猿之助は明治21年の生まれで、歌舞伎界で初めて中学校、それも進学校として名高い京華中学校に進んだと、当時大変な話題になったそうです」

 当時の中学進学率は10%に満たないから、図抜けた秀才だったわけである。

 時が流れて戦後には、

「二代目松本白鸚(81)は早稲田大学に、二代目猿翁は慶應義塾大学に、それぞれ進学しました。“早慶戦”と言われるほど注目を集めましたが、逆に言うと、それほど歌舞伎役者が大学に行くことが珍しかった」(同)

友達はほとんどいない

 信じがたい話はまだある。

「昔は歌舞伎が今のように身近ではなく、何かといじめられたようです。白鸚さんは“おしろいを洗い切れないまま学校に行ってからかわれた”“学校時代の友達はほとんどいない”と言っていました。歌舞伎俳優は6歳ごろから謡(うたい)、鳴り物、踊りといった稽古がぎっしり。仲間と遊ぶ時間もないのです」(水落氏)

 なんとも気の毒な学校生活だが、進学先として定番だったのは暁星学園。長期の休みにも理解を示す自由な校風が魅力だったそう。現在、梨園の子弟を引きつけるのは一貫校の慶應義塾や青山学院で、青学への先陣を切ったのは團十郎の父・十二代目團十郎だとか。

 かたや、“役者は芸にまい進すべし”派もある。

「六代目中村歌右衛門は、学校など行かなくてもいいという説。今の中村芝翫さん(58)は青学中等部で学校は終わりにしていますが、これは大叔父にあたる六代目歌右衛門の意見があってのことでした」(同)

 とはいえ、芝翫の息子3人は大学へ進学。義務教育のみならず高等教育もスタンダードになった背景には、

「梨園の中で、自分たちは特別だとの思いが薄れ、経済的にも社会的にもある程度恵まれた一般家庭と変わらない、という考えが浸透したのでしょう」(上村氏)

「週刊新潮」2024年4月25日号 掲載