Kis―My―Ft2の宮田俊哉(35)の2週連続インタビュー。後編は、昨年8月に最年長の北山宏光(38)がグループを卒業した時の心境、そして今年7月に結成20年目に突入するキスマイへの思いを語った。

 腕を組み、視線は宙を泳いだ。今年7月、グループは結成20年目に突入する。そんなことを聞くと、宮田は「そうだなぁ」と思いを巡らせた。斜め上を向いて言葉を発した後、数秒間無言が続いた。

 「思い返せば、楽しかった思い出の方が圧倒的に多いですよね。こんな経験は、キスマイにいて、仲間たちがいなければできなかった」。長い、長い年月。楽しいだけでは、当然なかった。「切り取っていけば、本当に体もメンタルもきつかったこともたくさんありました。でも今、思い返したら圧倒的に楽しかったことが浮かんできますね」

 宮田らしくポジティブな言葉を並べたが、それでも昨年は、いろいろあった。所属事務所は、創業者の性加害問題に揺れた。グループでは、最年長の北山が8月に卒業し、退所した。

 「正直ズドンと来た瞬間はあった」。笑みは消え、言葉の重みが増した。「北山に関して、彼が『辞めたい』と最初に言った時は受け入れられなくて。『一回、飯食い行こうぜ』と誘ってね。メチャクチャ話したんですよ。その後も、何回もご飯行って」

 あふれ出る言葉が止まらない。湧き出る感情に、身ぶり手ぶりも重なった。「そういう時間を経て、今はなかったことにするわけじゃないですけど、別の道を進んでいるし、どっちが正義で、どっちが悪でもないですし。別の道にはなったけれど、約20年間(一緒に)戦ってきた仲間というのは変わらない」

 わずか1年前の出来事だが、はるか昔を懐かしむように目を細めた宮田は、「ある光景」について語り始めた。「去年アリーナツアーをして、初日の横浜アリーナで、7人で最後に出した楽曲『ともに』を本編ラストで歌った時、ファンの皆さんがメチャクチャ泣いていて。あぁ、それがファンの皆さんにとっても、自分たちにとっても現在地なんだと思った」。当時は、ファンもグループもメンバーが抜けることを受け入れられない状態だった。その光景を受け入れた上で、宮田は、決意した。

 「もし最終日に泣いている方々が一人もいなかったら、このツアーが大成功だなって思ったんですよ。北山の卒業を受け入れた上で、この歌を歌えたら」。今年2月に迎えたツアー最終日。代々木第一体育館のステージから客席を見つめた。「『ともに』を歌った時、僕の目からは泣いている人の姿が見えなかった。みんながペンライトを赤(北山のメンバーカラー)にして、受け入れてくれたのかなって。この先も6人でライブを続けていく覚悟もできましたし、みんなで強くなっていくと再確認できた」

 新たな体制になった。6月からは、3大ドームツアーも巡る。

 「改めてグループでもう一度4大ドーム、そこからさらに5大、6大ドームといくのが理想だと思いますよね」。力強い言葉で取材を終えようとした瞬間、宮田が「でも」と続けた。「自分たちに厳しく言うと、今の状況では、絶対にかなえられないというのは分かっていて。だからこそ、今回のドームツアーで、6人で何を見せるか。もう一度6人で戦うつもりで、ドームツアーをしないといけない」

 さらに力強く、自らに厳しい言葉を発した。「10年後にこうなりたいよりも、次の一歩、二歩先をね。ファンの皆さんと共に描いてくのが良いかなって。自分もアニメで『推し活』している身ですから」。そう言うと、クシャッと頬を緩めた。相変わらず優しい笑みだった。(田中 雄己)

 ◆宮田 俊哉(みやた・としや)1988年9月14日、神奈川県出身。35歳。Kis―My―Ft2のメンバーとして、2011年に「Everybody Go」でCDデビュー。12年に日本テレビ系「私立バカレア高校」でドラマ初出演、同年に同作の劇場版で映画初出演。13年に派生ユニット「舞祭組(ぶさいく)」を結成。19年から2年連続でNHK紅白歌合戦出場。血液型A。