「インバウンドにフォーカスした報道が独り歩きしており、困惑している」「『高価格の海鮮丼=インバウン丼』といった部分だけが切り取られており、SNSなどで日々拡散されている」――。

 未曽有の円安が続き「安いニッポン」が海外旅行客から人気を集めている。日本政府観光局によると、4月の訪日客数は304万2900人。単月として過去最高を記録した3月(308万1600人)に続き、2カ月連続の300万人超えとなった。コロナ禍前の2019年4月比で4.0%増となっており、コロナ禍による数年の空白をようやく埋め、以前の成長基調に戻った格好だ。

 円の価値が目減りしている今、海外から見た日本は相対的に割安な状況。これをビジネスチャンスと捉え、インバウンド需要を旺盛に狙う企業も多いだろう。中には、国内の一般的な価格相場からすると高価に映るサービスや商品も多い。

 例えば北海道のスキーリゾート「ニセコ」では、ラーメン1杯2000円、握り寿司が5貫セットで3000円などの商品が並び、話題となった。もちろんこうした訪日客の多いロケーションでは、それでも「安い」と感じる外国人と、外貨を稼ぎたい企業の思惑が一致してWin-Winの状況といえる。

 一方で問題も生じている。代表的なものが「オーバーツーリズム」だ。多くの観光客が訪れることによって、過度な混雑や渋滞といった問題が生じることを指し「観光公害」とも呼ばれる。ゴールデンウイークに外出して辟易(へきえき)した読者も多いだろう。

 また、訪日客だけをターゲットにしているわけではないにもかかわらず、「インバウンド向け」とレッテル張りされて困惑している観光地もある。豊洲市場に隣接し、2月にオープンした「豊洲 千客万来」(以下、千客万来)だ。冒頭のコメントは、千客万来を運営する万葉倶楽部の広報担当者が漏らした本音である。

●1杯1万円超の“インバウン丼”が話題に 現場には困惑も

 千客万来はもともと2018年、東京都中央卸売市場が築地から豊洲へ移転したタイミングでオープンする予定だった。しかし「すしざんまい」を運営する喜代村など、当初予定していた運営事業者が撤退し、コロナ禍などもあって豊洲移転からかなり遅れたタイミングでのオープンとなった。万葉倶楽部のプレスリリースによると、施設自体の構想は2015年に始まったとあり、10年近くを経ての開業である。

 千客万来のコンセプトは「うまさの聖地」。豊洲ならではのローカルフードに加え、全国から集まる「本格・本物の食」を提供するとともに、温泉などさまざまなコンテンツが詰まった施設だ。

 後ろ倒しでの開業ながら(ということもあってか)オープン時に各メディアが華々しく扱い、コロナ禍が明けて観光需要が高まっているタイミングでもあることから、順風満帆に思えた千客万来。しかし、間もなくして「インバウン丼」なるワードがSNSなどをにぎわすようになった。

 インバウン丼とは、施設内で提供している海鮮丼を「訪日客に特化した、高価な丼」として揶揄(やゆ)した言葉である。千客万来内の店舗が販売している海鮮丼の中には、確かに1杯1万円超のものもあり、そのインパクトもあいまってインバウン丼は即座にネットミーム化した。

 果たして1杯数千円〜1万円超の海鮮丼とはどういったものか。施設内でのインバウンド対応などとともに取材しようと考えて先方にコンタクトを取ったが、結論から書くと取材NGを出されてしまった。

 まず連絡したのは「江戸辻屋」を運営する辻水産。他メディアの記事で「ボッタクリ丼だと思うんだったら、別にそう思えば良い」といったコメントや、話題になったことが逆にチャンスであり、食べてもらえれば価値を分かってもらえる――といった強気の姿勢を見せていた。

 であれば、商品にどのような工夫を凝らしているのか、どのようなターゲット設定をしているのかなどを聞こうとしたものの、断られてしまった。

 万葉倶楽部にも連絡したが、インバウンド関連の取材はNGとの返答があった。辻水産にしても、万葉倶楽部にしても、SNSを中心に千客万来が「インバウンド向けの高価な商品が並ぶ施設」という「色」がつきかけている現状に対して、非常にナーバスになっていることが感じられた。

●「インバウンドなど特定の層に向けた施設ではない」 客の9割が日本人の店舗も

 万葉倶楽部とのやりとりで印象に残ったのは「(千客万来は)インバウンドなど特定の層に向けて作られた施設ではなく、近隣の居住者、国内旅行者、インバウンドの皆様など、全てがお客さまとなっております」というコメントだ。

 確かに、インターネット上で確認できる、千客万来への出店者を募る資料には、施設が想定するターゲットとして「豊洲市場を訪問する国内外の観光客」とともに「江東区を中心とする近隣の居住者・ワーカー」「豊洲市場関係者」が示されている。

 実際、日本人から評価を博している店舗もある。例えば、エイチ・アイ・エスが運営する「海鮮バイキング いろは」はその一つだ。辻水産と万葉倶楽部には取材を断られてしまったものの、エイチ・アイ・エスには話を聞くことができた。

 海鮮バイキング いろはは、正式営業前のプレオープンに際して「CAMPFIRE」でクラウドファンディングを実施。プレオープン時に食事できる優待券や、正式オープン後の優待券などで募集したところ、975人から応募があり、目標額の100万円に対して827%となる、827万6000円を集めた。支援者のほとんどは日本人だったといい、当初から国内観光客の注目を集めていたことが分かる。

 その後、オープン以降の客層も9割が日本人だという。オープン当初に設定していた集客目標に対して1.6倍ほどで推移しており、満席率は90%ほどと上々の滑り出しを見せている。中でもランチタイムの団体予約が絶好調で、年内までかなりの枠が埋まっている。

 SNSなどでインバウン丼が話題になり、訪日客向けのイメージが広がる一方で、実際には国内観光客の支持を集めている千客万来。実態とかけ離れた「インバウンド過熱報道」に、当事者は困惑しているようだ。

●著者プロフィール

鬼頭勇大(フリーライター・編集者)

フリーライター・編集者。熱狂的カープファン。ビジネス系書籍編集、健保組合事務職、ビジネス系ウェブメディア副編集長を経て独立。飲食系から働き方、エンタープライズITまでビジネス全般にわたる幅広い領域の取材経験がある。

Xアカウント→@kitoyudacp