特異な音楽性の変化

 L’Arc〜en〜Cielが奏でるニューウェイヴにネオアコ、そしてハードロック、プログレ要素も入り混じった特異な音楽。インディーズの勢いのままメジャーデビューしたものの、そのマニアライクな音楽性ゆえに人気が伸び悩んだこともあった。

 デビュー直後の東京ベイNKホール公演はソールドアウトできなかった(のちの1996年5月に『kiss me deadly heavenly ’96 REVENGE』と題したリベンジライブを同会場で行い、ソールドアウトさせている)。

 メジャーデビューは1994年7月で、ビデオ『眠りによせて』と 2nd アルバム『Tierra』をリリース。NKホール公演は8月であり、そう考えれば少々気が早すぎたところもあったように見えるが、このスピード感こそが当時のバンドの勢いとシーンの情勢を物語っている。

L'Arc〜en〜Ciel「Blurry Eyes」(1994年)

 10月には 1st シングル「Blurry Eyes」をリリース。当時の彼らからすれば、8ビートロックを意識したストレートなキャッチーさを感じる曲調だが、疾走するビートとは裏腹に、tetsuyaの脈々と動きまわるベースラインが一筋縄ではいかない彼らの音楽的な矜持を感じさせる。同曲は日本テレビ系アニメ『D・N・A2 〜何処かで失くしたあいつのアイツ〜』オープニングテーマソングであったが、エンディングテーマのシャ乱Q「シングルベッド」が話題となり、ミリオンヒットとなっている。

 翌1995年に共同アレンジャーとして西平彰を迎え、よりメロディアスでポップネスへ、キャッチー性に富んだ「Vivid Colors」をリリース。L'Arc〜en〜Cielが編曲といった制作に外部のミュージシャンを招いたのは、「Vivid Colors」が初めてのことであったが、編曲面を含めてより洗練された印象もある。そこから着実に人気を高めていき、12月には初の日本武道館公演を行った。

L'Arc〜en〜Ciel「風にきえないで」(1996年)

 その手応えを感じたのか、以降は積極的に外部プロデューサーを迎え、共同アレンジ&プロデュースに取り組んでいる。「風にきえないで」(1996年7月)は佐久間正英、「flower」(同年10月)は小西貴雄、「Lies and Truth」(同年11月)は西平彰、といった面々を迎えながら、着実にセールスを伸ばしていった。

L'Arc〜en〜Ciel「flower」(1996年)

 そして同年12月にリリースされたアルバム『True』は、セルフプロデュースであった過去のアルバム3作と異なり、先述の3名に加え、岡野ハジメ、富樫春生、秦野猛行という計6人の共同プロデューサーを迎えて制作された、いうなればセールスを意識したアルバムだ。結果として、バンド初のミリオンセラーとなった。しかし、まさにこれからという1997年2月、sakuraが覚醒剤取締法違反で逮捕というアクシデントに見舞われる。