秋葉原の歴史

 秋葉原は「オタクの聖地」として世界的に知られている。しかし、聖地は衰退の危機に直面している。人通りは多いものの、「オタク文化に漬かっているが、秋葉原には足を運ばない」という意見がネット上には多く見られる。その理由は何だろうか。まずは、秋葉原がオタクの聖地となった経緯を見てみよう。

 秋葉原がオタクの聖地と化した背景を探る上で欠かせないのが、2003(平成15)年に刊行された建築学者・森川嘉一郎氏の著書『趣都の誕生 萌える都市アキハバラ』(幻冬舎)だ。このなかでは、その成立が詳しく語られている。

 現在に至る街の歴史は、太平洋戦争後から始まる。その頃、秋葉原の近くに電機工業専門学校があり、そこの学生がアルバイトで始めたラジオの組み立て販売が大当たりしたのが、ひとつのきっかけとなり、ラジオ部品などの露店が軒を連ねる「電気街」が誕生した。

 その後、1980年代までは家電製品の一大集積地として栄えたが、1990年代に入り大型量販店の台頭で次第に衰退。代わって台頭したのがパソコン関連の店舗だった。これを契機として、家族連れで家電製品を買いにきていた客層が、だんだん男性中心に移行したとされる。森川氏は、1990年代の

・オタク文化の台頭
・科学技術への幻滅

が秋葉原の変貌を後押ししたと分析する。

 森川氏の説によると、本来のオタクとは、科学技術に憧れ、明るい未来を夢見ていた人たちである。しかし、1970年代以降、科学技術が明るい未来をもたらすという期待は急速に失われていった。その頃、特撮や漫画、アニメは、そんな夢を失った人たちが「代償」として楽しんでいた。彼らはコンピュータにも親和性が高く、パソコン関連ショップが集積していた秋葉原は次第にオタクの街となっていった。

 大きな転機となったのは、1995年に放映されたアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』である。エヴァンゲリオンブームの直後、海洋堂が秋葉原に店舗を構えたのを皮切りに、オタク向けの店舗が次々とオープンした。こうして秋葉原はオタクの聖地として誕生した。

秋葉原(画像:写真AC)

1999年「サブカル投機フィーバー」

 時系列で新聞・雑誌記事を追ってみると、オタク文化の興隆と、それにともなう秋葉原の変化の過程が浮かび上がってくる。『産経新聞』は1996(平成8)年6月の記事で秋葉原を「突っ走るオタク・ビジネス」と形容し、こう報じている。

「なにしろ日本のゲーム機は、世界で9割のシェアを誇っている。それを育てたのは「オタク」だ。閉鎖的な世界にこもるマニアックな人たちをオタクと呼ぶようになったのは80年代後半から。半ば軽べつのまなざしで見てきたわけだが、そんなオタクのたまり場がゲームセンターだった。通称「ゲーセン」は暗く、汚く、怖いという「3K」イメージが強かったが、今や明るいミニテーマパーク。オタクの世界が女子高生たちも巻き込んだのだ」(『産経新聞』1996年6月1日付)

 エヴァのブームを経て、かつては「軽べつ」の対象でしかなかったオタク文化が、いよいよ市民権を得たことが読み取れる。それから3年後の1999年。『アエラ』は、秋葉原のオタクビジネスの最前線を「サブカル投機フィーバー」という見出しで取り上げている。

「4月にソフト制作会社「ジェリーフィッシュ」を設立した田辺健彦社長(33)もその一人。東京・秋葉原のマンションの一室にある事務所で、パソコン2台にゲーム機4台、食いかけのコンビニ弁当を前に、田辺社長は「ゲームとパソコンは三度の飯よりも好き」と、一獲千金を狙う。そして「ネクラの象徴だったオタクは、一種のエキスパートを指す呼称に変わった」と自信を示す。街にはオタク・ビジネスが氾濫(はんらん)、オタクが景気を引っ張る。かつてなかった現象である」(『アエラ』1999年2月8日号)

 オタクが「エキスパート」を指す言葉へと変わり、「ゲームとパソコンは三度の飯よりも好き」と豪語するソフト制作会社社長の登場。記事からは、オタクビジネスが秋葉原の新たなけん引役となった様子がうかがえる。

秋葉原(画像:写真AC)

「アキバ系ユーザー」の激変

 2002(平成14)年になると『週刊エコノミスト』が「秋葉原、変貌!「アキバ系ユーザー」って知ってるかい?」と題した特集のなかで、こう記している。

「「アキバ系ユーザー」−−この言葉を聞いて、どんなユーザーを連想するだろうか。パソコンオタク? それともパーツを探し求めるマニア? あるいは、家族連れで家電を買いにくる人たち?答えは、どれも間違い。いまや、アキバ系ユーザーとは、美少女アニメソフトなどを購入する「美少女アニメオタク」や、フィギュア(人形)を購入するマニア層のことを指している。「秋葉原で商売をやっている限り、もはや美少女アニメソフトを無視するわけにはいかなくなった」 秋葉原の中央通り沿いに店を構えるある大手パソコンショップの店長は、こう話す。美少女アニメソフトとは、少女を題材にしたアニメによるパソコン用ゲームソフト。一般のゲームソフトに比べて、ややお色気を含んだゲーム内容になっているのが特色だ。実は、この言葉の裏に、世界に名だたる「アキバ」が、いま、大きな転換期を迎えていることが示唆されている。秋葉原といえば、「電気街」というのが代名詞。だが、秋葉原で働く電気店関係者の口からは、「アキバが家電の街とか、パソコンの街とは言い切れない場所になってきている」という声が異口同音に聞かれるのだ。」(『エコノミスト』2002年3月26日号)

 ここからは、秋葉原のイメージの変化が端的にわかる。まだ、オタク文化が現在ほど大衆化していなかった中で、アニメやゲーム、フィギュアなどを扱う店舗がビルの1フロア丸ごとを占拠する。それだけでビジネスとして成立している様子がみられるようになったことは、まさに劇的な変貌であった。同年、東京新聞も「TOKYO発 秋葉原 オタク電気街」という記事のなかで、こう記している。

「アニメのゲームソフトやフィギュア(人形型キャラクター)、人気キャラクターを主人公にした漫画同人誌などを扱うマニア向けの店が急増」「フリルの付いたメード服や人気アニメゲームの美少女キャラクター…。電気街の外れにあるコスプレ(コスチュームプレー)喫茶「カフェ メイリッシュ」(千代田区外神田)に入ると、そんな仮装をしたウエートレスが迎えてくれる。開店は昨夏。月に5000人が来店する盛況ぶりで、入店待ちの行列ができる日も多い。」と報じている。(『東京新聞』2003年3月11日付朝刊)

 この頃には、もはや秋葉原のオタク街化は決定的となり広く認知されていたことがうかがえる。かつ、多くのメディアは、その盛況ぶりは驚きをもって興味深く捉えていた。

秋葉原(画像:写真AC)

オタクが「一流」の街

 2004(平成16)年の『フジサンケイビジネスアイ』は「【in 秋葉原】パソコン、アニメ、鉄道模型、ミリタリーグッズ…常に流行を発信」と題した記事で、こう述べている。

「この町でオタクと呼ばれれば一流だ。パソコン、アニメ、鉄道模型、フィギュア、そしてミリタリー(軍事)。秋葉原には、趣味と呼ばれるもので、およそ手に入らないものは、ない。知と技を極めた世界最高峰のこだわりを求めて愛好家が集まる。そのこだわりがせめぎ合い、今日もトレンドの新たな芽がふく」
「ファッションといえば渋谷、原宿かもしれないが、秋葉原には、常に新しいモノを発信してきたという自負がある」(『フジサンケイビジネスアイ』2004年5月24日付)

「オタク = 一流」という等式が成り立つまでになった秋葉原。パソコンやアニメ、鉄道模型など、あらゆるジャンルのマニアが集い、そのこだわりがせめぎ合う。そこから次々とトレンドが生まれる。記事からは、そんな「知と技の世界最高峰」としての秋葉原像が浮かび上がってくる。

 同年9月には、オタク街・秋葉原をテーマにしたディスカウントストア「ドン・キホーテ秋葉原店」が開業。

「アキハバラ・ファン・ミュージアム」と銘打たれた5階フロアは、新作ゲームやアニメのプロモーションを行う「常設の『キャラクターショー』」をイメージして、フロア全体がオタク向けコンテンツで埋め尽くされた。(『フジサンケイビジネスアイ』2004年9月8日付)

 ここに至って、オタクの聖地としての秋葉原の地位は不動のものとなったといえるだろう。「趣都」(森川)と呼ぶにふさわしい独自の進化を遂げた街。その存在感は、日増しに高まっていったのである。

秋葉原(画像:写真AC)

メイドカフェ急増、秋葉原の変貌

 2008(平成20)年6月には「秋葉原通り魔事件」という不幸な事件もあったが、オタクの聖地としての発展は止まらなかった。とりわけ、2000年代から2010年代の変化は劇的であった。

 牛垣雄矢氏・木谷隆太郎氏・内藤亮氏による調査報告「東京都千代田区秋葉原地区における商業集積の特徴と変化―2006年と2013年の現地調査結果を基に―」(『E-journal GEO』11巻1号)の分析によると、2006年時点で秋葉原の商業集積は、

・パソコン取扱店:114店
・家電取扱店:151店
・電子部品取扱店:130店
・少女アニメ関係取扱店:107店
・アイドル製品取扱店:10店
・アダルト製品取扱店:75店
・メイド系店舗:31店
・チューン店:69店

 この時点では、いわゆるオタクショップにあたる少女アニメ関係取扱店が存在感を示す一方で、従来の電気街の主力であったパソコンや家電取扱店も数多く存在していた。これが、2013年には次のように変化している。

・パソコン取扱店:81店
・家電取扱店:37店
・電子部品取扱店:119店
・少女アニメ関係取扱店:71店
・アイドル製品取扱店:37店
・アダルト製品取扱店:43店
・メイド系店舗:108店
・チューン店:108店

 メイド系店舗やチェーン店が数を増した一方で、パソコンや家電取り扱い点だけでなくオタクの聖地の担い手であったはずの少女アニメ関係取扱店も数を減らしているのである。論文はこの変化を「趣味の専門店街」から

「サブカルチャー系の商業集積地」

へのシフトと表現している。ただし、このことは見方を変えれば、オタク文化がマニアの領域を超えて、

「大衆的な市場」

を獲得しつつあることの表れだともいえる。趣味の専門店街からサブカルチャー系の商業集積地への変化は、オタク文化の“メインストリーム化”を象徴していたといえるだろう。

 つまり、隆盛は衰退の始まりだったのである。オタクの街として注目されているのに、オタク向けの店が減少している。このような現象がなぜ起こったのだろうか。牛垣氏の別の論文「東京都千代田区秋葉原地区における商業集積地の形成と変容」(『地理学評論』85巻4号)では、小規模な店舗が集積する秋葉原の特徴を分析した上で、こう記している。

「秋葉原地区において,従来の家電店やパソコン関係店は技術的な知識を求められたためにさまざまな規模や業種の店舗が集積することを可能としたが、近年に集積しているアニメ関係店は技術的な知識が不要であり、その点で同業種が秋葉原地区へ立地する意味は減じたといえる。アニメ関係店の集積が進んだ2000年代に小売販売額が急減しているのも、その影響とも考えられる」

 さらに牛垣氏の論文では「2000年時点で雑居ビルのテナントとして確認できるアニメ関係店34店のうち2006年に存在するのは19店のみである」とも記されている。オタク文化の大衆化が進んだからこそ、多くのオタク向け店舗が集積した。同時に競争も激化したが、個々の店舗の収益性は必ずしも高くなく、隆盛の影で姿を消していたのである。

秋葉原(画像:写真AC)

とらのあな閉店の背景

 余談だが、この変化の渦中にあった2012(平成24)年2月に、建て替えが話題になっていた秋葉原ラジオ会館の名前を冠したニュースサイトが開設されている。

 そのビジネスモデルは、秋葉原の事情に通じていると自認する人たちに記者証を発行し、無料で記事を書かせるというものだった。秋葉原のランドマークとして注目を集めているラジオ会館の名の付く媒体ならば、

「タダでも書きたいというオタクはいくらでも集まるだろう」

という見通しで成立していたビジネスモデルである。こんなむちゃなビジネスモデルが成り立つくらいに、秋葉原はオタクの街として隆盛したのである。

 秋葉原を訪れる人々をターゲットにした、店舗からの広告収入に依拠したフリーペーパーも幾つも創刊されては消えていた。熱気の中で秋葉原を舞台にした新手のビジネスが次々と生まれていたが、大抵は長くは続かなかった。2013年には大手ドラッグストアチェーンの「ダイコクドラッグ」がステージ付きメイドカフェを併設した店舗をオープンし、大きな話題となったが、わずか数年で閉店している。

 振り返れば、こうした大小の資本が入り乱れる隆盛こそが、衰退の始まりであったといえる。衰退を如実に示したのが、2022年7月、アニメや漫画のグッズを取り扱う大型専門店「とらのあな」の秋葉原店が、20年間の歴史に幕を下ろしたことだ。

 オタクの聖地と呼ばれる秋葉原において、同店は常に先駆的な存在だった。2001年の開店当初から同人誌の品ぞろえに力を入れ、オタク文化の発信地としての秋葉原の地位を確立する上で大きな役割を果たしてきた。

 ところが、同社は池袋店だけを残し、秋葉原店を含む店舗の閉店を決断したのだ。その原因は、コロナ禍の影響により店舗収入が減少し、賃料や光熱費の負担が増したことだとされている。
さらに、コロナ禍も影響し、収益の上位が通販事業と自社で運営するクリエイター支援サイト「ファンティア」が占める状態になっていたことも、この決断の理由だったようだ。

 同社は秋葉原では、2013年以降、秋葉原店A〜Cの3店舗を運営していた。しかし、2021年にテナント契約期間満了でB店を、ビル建て替えによる契約期間満了でC店を、それぞれ閉店。A店のみが営業を継続していた。ここからは、オタクの聖地となったことで、秋葉原で建て替えや再開発の事業も活発になったこと。それにともなう賃料の高騰によって、店舗が割に合わないものになっていたことがうかがえる。

 秋葉原で成長し、代表的な店舗となっていた「とらのあな」ですら、秋葉原の存在する必然性がなくなったのである。

秋葉原(画像:写真AC)

観光地化する秋葉原の未来

 さらに、秋葉原のオタクの聖地としての“求心力”そのものが低下していることも、見逃せない。

 前述の『東京都千代田区秋葉原地区における商業集積の特徴と変化』が指摘していたように、2000年代後半以降、秋葉原の商業集積は「趣味の専門店街」から「サブカルチャー系の集積地」へとその性格を変えつつあった。アニメや漫画、ゲームなどのオタク向けコンテンツは、もはやマニアだけのものではなくなり、より大衆的な市場を獲得しつつあった。

 その一方で、アニメ関連グッズ等のインターネット通販の台頭により、リアル店舗の売り上げは減少の一途をたどっている。とらのあなの閉店は、いわば時代の必然だ。

 実店舗にわざわざ足を運ばずとも、オンラインで欲しい商品が手に入る。コロナ禍でそうした傾向はさらに加速した。オタクが秋葉原を訪れる必然性は、もうないといってもよいだろう。現在の秋葉原は、ほかの地域では見られないオタク向けのキャラクターを用いた広告や看板、路上に客引きをするメイドといった光景によって、一種のテーマパーク的な観光スポットとして、にぎわっているだけである。かつてのような、街を歩いているだけでなにか面白いものに出くわすような期待は既にない。

 もはや「趣都」とはいえない秋葉原は、どのように変化していくのだろうか。むしろ、オタクが世界に広がった結果、海外に秋葉原のような“新たな聖地”が出現するのかもしれない。