愛馬が稀に見るハイレベルな混戦を抜け出した日、担当助手の久保敏也は2枚の写真を懐に抱いていた。あれから14年。怪我からの再起を期す彼を支えるのは、いつも全力だったダービー馬との日々にほかならない。
(初出:発売中のNumber1096号[調教助手の述懐]2010エイシンフラッシュ「胸に記憶をしのばせて」より)

 5連勝中の皐月賞馬ヴィクトワールピサがいた。遅れてきた大物ペルーサは青葉賞を、エアグルーヴの仔ルーラーシップはプリンシパルSを、どちらも4馬身差で圧勝してこの大舞台への切符を手にしていた。皐月賞2着のヒルノダムールは、そのルーラーシップを若駒Sで破っていた。2歳王者ローズキングダムは新馬戦でヴィクトワールピサを下し、唯一の土をつけていた。

 かつてないほどハイレベルな、かつてないほどの混戦状態。「史上最高メンバー」の呼び声とともにゲートが開かれた2010年ダービーの直線、残り200m。競り合いから抜け出したのは単勝31.9倍、7番人気の伏兵エイシンフラッシュだった。

 エイシンフラッシュを担当する藤原英昭厩舎の久保敏也調教助手は、他の馬の担当者と一緒にスタート地点からウイナーズサークルに移動していた。レースを観ているとつい大きな声が出てしまうのは20年前にこの世界に入った頃からで、よく「お前、うるさいよ」と苦笑いされていた。

 この日、久保はスーツの内ポケットに2枚の写真を忍ばせていた。久保いわく、それは「勝つ準備」だった。

 ダービーのこと。写真のこと。当時の話を訊くため久保に連絡した。待ち合わせ場所に現れた久保は、松葉杖をついていた。

「大谷翔平が肘に入れたものと同じやつらしいです」

 今年の1月30日、久保は厩舎の馬房で飼い葉を与える作業中、馬に蹴られる事故に遭っていた。左膝の前十字靭帯断裂と半月板損傷、左足首の脱臼骨折。大怪我だった。瀬戸口勉厩舎時代から付き合いのある福永祐一調教師が紹介してくれた病院で手術を行い、退院したのは4月上旬。「2本だった松葉杖が、ようやく1本になったところです」と久保は笑った。

 ここから先は長いリハビリ生活が待つ。

「年内には仕事に復帰したいですが、移植した膝の靭帯が普通の強度になるには10カ月はかかるって言われてます。足首は人工靭帯で、大谷翔平が肘に入れたものと同じやつらしいですよ」

 北海道出身の久保は小さな頃から動物好きで、生産牧場を営む母方の実家で手伝いをしながら多くの時間を過ごして育った。

「馬の扱い方はじいちゃんに全部教わりました。僕のベースです」

 高校卒業後は競馬学校の厩務員課程を経て栗東の瀬戸口厩舎へ。10年働き、山内研二厩舎でまた10年を過ごした久保は、'09年に藤原英昭厩舎へと移った。

 エイシンフラッシュの担当になったのは、その翌年1月のことだった。

「3歳になって京成杯を勝ったところで、前の方が厩舎をやめるので僕が担当になりました。馬体に関しては、厩舎の誰もが素晴らしいと評価していましたね。馬はかなりやんちゃで、2歳の頃は怪獣みたいに立ち上がったりしてました」

 そうした気性は、エイシンフラッシュの大きな課題の一つだった。

「乗った人は、みんな難しいって言ってましたね。僕が跨るのは、ほぐす程度の運動でしたけど、それでも気に入らないことがあると暴走しそうになったりして。ウチパク君(内田博幸騎手)も、パワーがすごくて抑えるのが大変だって言ってました。レースでも掛かりぐせというか、真面目すぎて力んでしまうところがありましたね」

 父のキングズベストも、距離のもたないマイラー種牡馬のイメージが強かった。

「それもあって、厩舎ではこの馬はダービーより皐月賞が勝負だという空気はありました。でも僕は、掛かりぐせさえ出なければ距離は大丈夫だと思っていたんです」

ダービーでも「他のメンバーのことは気にならなかった」

 久保に担当が代わったエイシンフラッシュは当初、皐月賞トライアルの若葉Sを目指した。しかし当時トレセンで流行していた鼻肺炎による発熱で直接、皐月賞へ。レース間隔が空いたこともあり11番人気にとどまったが、久保は自信があった。

「皐月賞で3着に入ってダービーの優先出走権(5着以内)を取ったときは、よし、これでダービーはチャンスだ、と思いました。気持ち太めで、緩さもあったんですが、思った通り、レースを使ったことで体が締まって、長距離を走るには理想的なラインになっていきましたね。毛艶も、こっちの顔が鏡みたいに映るんじゃないかというくらい、ピカピカになっていきました」

 ダービーが近づくにつれ、世の中の盛り上がりは増していった。しかし話題はヴィクトワールピサの二冠の成否や、次々と登場する新星のことばかり。「史上最強メンバー」に、エイシンフラッシュは実質、ほとんど入っていないようなものだった。

「でも不思議と、他のメンバーのことは気にならなかったですね」

 レース当日、久保が内ポケットに忍ばせた写真の1枚は、師と仰ぐ先輩、岩本幸治厩務員のものだった。

文=軍土門隼夫

photograph by Kiichi Yamamoto