1999年5月7日、ヤンキースタジアム。メジャーで初めて日本人投手が先発で投げ合った日――。当時、現地で取材した記者が綴る「伊良部秀輝vs.マック鈴木」伝説的試合の舞台裏。〈全2回の2回目〉

◆◆◆

互角の投げ合い…マックが悔やむ「ジーターへの1球」

 1回表、まずマウンドに上がったのはヤンキース・伊良部秀輝だった。1番ブライアン・ハンターにいきなり中前打を打たれたが、後続2人を凡打に抑え、ハンターに盗塁を許した後に4番エドガー・マルチネスを見逃し三振に退け、上々の立ち上がりだった。

 一方のマリナーズ・マック鈴木は1回裏、先頭打者を凡打させた後に2番デレク・ジーターに一、二塁間を抜く右前打を許し3番ポール・オニールには四球を与えたが後続のバーニー・ウィリアムズ、ティノ・マルティネスを連続空振り三振に切ってとり、こちらも負けていなかった。

 2回は伊良部が3者凡退、マックは1安打を許したが残りを凡打に抑え危なげない投球。3回は伊良部が再び3者凡退で1回の2人目の打者から9者連続凡退の快投。マックも先頭に四球を与えるも後続を抑え、好投が続いた。4回は伊良部が4番マルティネスに今度は二塁打を許し暴投もあって2死三塁に陥ったが無失点に抑え、マックはこの試合で初めて3者凡退でイニングを終えた。

 試合が動いたのは5回だった。伊良部はこの回も下位打線を3者凡退と簡単に抑えたが、マックは2死一、二塁でジーターに3ラン本塁打を被弾。「フォークが高めにいってしまった」と登板後にその1球を悔やんだ。

 6回は伊良部が安打と内野のエラーによる無死一、二塁のピンチを無失点でしのいだが、マックはその裏、先頭から四球と二塁打で1点を追加され、1死二塁から2者連続四球と突然の乱調で満塁としたところで交代。継投した投手が打たれ、出した走者をすべてかえされた。

 マックは5回1/3を5安打7失点(自責点4)、5四球3奪三振で黒星。伊良部は7回にラス・デービスにソロ本塁打を浴びたものの7回を投げきり4安打1失点、無四球5奪三振でシーズン初白星を挙げ、ヤンキースは 10−1で圧勝した。

この試合を機に…マック鈴木の“評価UP”

「2人の日本人選手が同じ日に投げることは、意識しなかった。ただ試合に勝つことだけを考えていました」

 試合後のマックは、淡々と試合を振り返った。

 メジャーの日本人選手としては先駆け的な存在の1人でありながら目立つことが少なかったマックにとっては、この試合が恐らく人生で最高に注目を集めた舞台だったに違いなかった。滝川二高を中退し、十代で渡米。マイナー球団で雑用係からスタートさせ、ついに手にした先発登板のチャンスだった。特別な思いやモチベーションの高まりはあったかもしれないが、それを言葉や表情に出すことはなかった。

その後のマック鈴木…移籍で状況好転

 結果的には負け投手となったが、ちょうど黄金期の真っただ中だったヤンキースを5回途中まで無失点に抑えた投球は印象的だった。この登板の翌月にマックはトレードでメッツ、さらにロイヤルズへと移っているが、評価され望まれたからこその移籍だったと思う。その証拠にロイヤルズ移籍後のマックは先発ローテの一角を任され、2000年には32試合の登板中29試合に先発、メジャーで自身最多の8勝を挙げている。

 ロイヤルズには若い選手が多かったこともありチームにはすぐに馴染み、楽しそうに見えた。その年のシーズン序盤に取材で訪ねたときには「このチームは調子が悪くても変わらないし、落ち込むこともないし、雰囲気がいい。仲のいい選手はマイク・スイーニー。彼はいつもお祈りしてる。僕と違って真面目ですね」と冗談交じりに話していた。スイーニーというのは当時スターの階段を上り始めたばかりの若き主砲だったのだが、そんな選手ともすぐに打ち解けられるのは、やはり同じようにマイナーから這い上がってきた者同士、わかり合える部分が多かったのだろう。伊良部と投げ合った試合での力投が、マックをロイヤルズという居場所に導いたのかもしれなかった。

 そして伊良部にとっても、あの日本人先発対決は大きな意味を持つ試合になった。

その後の伊良部…大活躍していた

 快投を披露した翌朝のニューヨークのメディアには、賞賛の言葉が躍っていた。

「イラブが自分自身の立場を救った」

 ニューヨーク・デイリーニューズ紙はそう書き、ニューヨーク・ポスト紙はこう賞賛した。

「マウンド上のイラブは、ヤンキースが期待した通りの姿だった」 

 ヤンキースのチーム内は、ほっとしたムードに包まれた。試合後のジマー監督代行は「本当に見事な投球だった。以前にも見せてくれた彼の投球と同じだった。こういう投球をまたやってくれることを、私たちはずっと待っていたんだ。これ以上は望めないというくらいの投球だった」と目を細めた。メル・ストトルマイヤー投手コーチは、大崩れした前回の登板以降、伊良部につきっきりで投球フォームの修正に取り組んでいただけに、結果につながったことを誰よりも喜んだ。

「前回の登板よりも球が速く、力があった」

 そう振り返ったのは、バッテリーを組んだホルヘ・ポサダ捕手だった。大きな注目を集めた投げ合いが、伊良部に一段高いモチベーションと力を与えていたことを女房役として感じていたようだった。伊良部自身、登板後のクラブハウスで報道陣に囲まれ、こう振り返っている。

「この試合に、多くの人が興味を持っていることはわかっていた。いい刺激と緊張感を持って投げられた。海を渡ってこっちに来ているのだから、お互いに頑張りたい」

 伊良部はこの登板の後、先発ローテに残り、6月から7月にかけては無傷の6勝をマーク。7月にはメジャーで自身2度目となる月間最優秀投手賞を受賞した。

 メジャーでの日本人対決はその後、野茂英雄対イチロー、野茂英雄対松井秀喜、イチロー対松坂大輔、ダルビッシュ有対大谷翔平といった投手対打者による名勝負がいくつも生まれ、ダルビッシュ有対田中将大、岩隈久志対田中将大といった先発投手の投げ合いでは、縁の深い者同士ならではのドラマが繰り広げられた。伊良部とマックの投げ合いは、そんな日本人メジャーの対決の歴史の幕開けであり、その1ページを彩る好勝負だった。

文=水次祥子

photograph by Kazuaki Nishiyama