藤井聡太名人と豊島将之九段による第82期名人戦。5月8、9日に行われた第3局は羽田空港第1ターミナルという珍しい場所で開催されました。夫婦そろって観る将でもあるマンガ家・千田純生先生がその様子を現地取材。“映像では見られない”対局風景を描いてもらいました。

「は、羽田空港が対局場って前代未聞じゃない?」

 今期の名人戦日程を見て、妻氏とともに声をそろえてしまいました。第1局の東京・椿山荘はもちろん、第2局の成田山・新勝寺はなんとなくイメージできるんですが、国内で一番飛行機の離着陸の多い羽田空港。ゴールデンウィーク明けとはいえ人はいっぱいいるだろうし、どんな形で将棋の対局が進んでいくのだろうか……と気になっていたところ、編集担当さんからLINEが。

「取材申請したら、なんと対局後の現場取材OKが出ました! せっかくなので羽田空港、行ってみましょう」

 ということで、昨期の名人戦第1局以来となる現場レポートをお届けできればと思います。

北は北海道、南は九州からファンが集結!

 待ち合わせは第3局2日目の午後のこと。電車を降りて「北ウイング」に到着したんですが……行きかうのはゴロゴロとキャリーケースを引っ張る外国人旅行者やビジネスマンの人々。ABEMAでの名人戦中継を見ながら「この空間の一室で、藤井聡太先生と豊島将之先生が名人戦で相まみえていること、知らないんだろうなあ……」というおセンチな気分に。なお第3ターミナルには、なんと戸辺誠七段の弟さんが店長を務めるという食堂・金粂羽田エアポートガーデン店があると聞き、待ち合わせ前に食べに行きました(笑)。

 ほどなく編集担当さんと合流。「では6階に行きましょうか」ということで受付を済ませて優雅なギャラクシーホールに入ってみると、大型モニターを使っての大盤解説会が実施されており、200人の観客でビッシリ! 前夜祭も取材したという編集担当さんは、こんなことを言っていました。

「関係者の方があいさつの中で『北は北海道、南は九州からファンの方々が来てくださり、大変感謝しております』と話していました。確かに日本全国から平等に行きやすい場所は、羽田空港なのかもしれませんね(笑)」

佐々木勇気先生が自由だった展望デッキにも

 大盤解説会は、すでに終盤に差し掛かる中で阿久津主税八段と貞升南女流二段、そして立会人の佐藤康光九段、副立会人の佐々木勇気八段と阿部光瑠七段が局面分析をしつつ、自由な雰囲気のフリートークでした。

「そういえば……昨日のABEMAに登場した勇気先生、かなり自由でしたねえ」

 編集担当さんと話題になったのは、前日の1日目、スタジオ内の解説と羽田空港をつないだ中継のこと。勇気八段が展望デッキから風景を紹介する……という流れだったんですが、

「あっ! 飛行機が飛んでるーっ!」

 こんな感じで、スタジオの伊藤沙恵女流四段と山川泰熙四段の質問をほぼ“飛ばす”ような自由すぎるやり取りに、さすが勇気先生と思っていたんですが(笑)、ホールの隣に位置している展望デッキに行ってみると、数分に一度は離陸・着陸をしている!

「ドン! ……ヒューーーン!」

 着陸時の飛行機やその音を生で見聞きするのはいつ以来だろう……と勇気先生と同じような感慨に浸りつつ、前夜祭で藤井名人も「対局場からも滑走路や駐機場が見えます。明日からの対局でも楽しみながらリフレッシュしつつ集中して指したいです」と話していましたが、確かにいつもとは違う空間で、高揚する要素にあふれているなと思いました。

空港とは思えない静寂に包まれた対局場

 そんな感じで大盤解説を見ていると……夕食休憩直後に豊島九段が投了し、藤井名人が勝利しました。

「では、ここから対局場に移動します」

 思わぬタイミングでの投了を受けて、担当者の声掛けから急ぎ足(空港なので走らないようにしつつ)で移動することに。対局が行われていた場所は大盤解説場から移動して、ワンフロア降りてカフェやショップを抜けて厳重な警備がされているオフィス棟へ……と、だいぶ遠い。「そういえば椿山荘の対局の時も結構歩いてたどり着く、離れの場所だったな」と思い出しつつ、それだけ静謐な空間を保とうとしているのだな、とあらためて感じました。

 記者陣を待つ藤井名人と豊島九段、そして康光九段らがそろう対局室は——これまでも経験したように——少しひんやりとした、それでいて静寂に包まれていました。

 対局後のインタビューで藤井名人が「対局室からも飛行機の離着陸の様子がよく見えて、景色を眺めてリフレッシュすることも多かったです。良い環境の中で対局することができたのかなと思っています」とも話していました。大きな窓からは着陸する飛行機が見え、美しい夕焼けが空港を包む姿をバックにインタビューと感想戦が始まるという幻想的な時間でした。

藤井名人の肩に飛行機が止まるかのように…

 1年ぶりの藤井名人、そして2020年竜王戦以来となる豊島九段の姿と生声。対局のキーポイントとなった場面を聞けるのは貴重……さらに漫画家としてビックリしたのは、豊島九段の左手でした。

 よくよく見てみると、90度反っていて柔らかい! 画面ではなかなか映らないですが、棋士が自らの命運を決める手を、大切に使っているのだろうな、と感じ入りました。写真を撮影していた編集担当さんは、こんな気づきも。

「検討する藤井名人の後ろから、飛行機が着陸しようとする構図を何枚か撮影できました。まるで鳥が藤井名人の肩に止まるかような風景を見られるのは、空港しかありませんよね」

“どこでも対局場になる”将棋という魅力

 取材は無事終了。別れ際に編集担当さんがこんな話をしていました。

「何度かタイトル戦を取材しているんですが、昨年の名人戦では長野県高山村に赴いていましたし、竜王戦では都心のど真ん中であるセルリアンタワーの能楽堂、そして今回の羽田対局のように、どんな場所でも対局場にできるのは将棋が持つ魅力なのかもしれませんね」

 なお数十分続いた感想戦を最後まで見届け、対局場を後にする2人の姿をイラストで描くために収めておこう、と撮影に挑戦しました。でもあまりの緊張からか、ピントがズレズレ。妻氏から「へたくそ!」と叱られました(苦笑)。

 確かに。実は僕は今、応援する横浜F・マリノスのACL決勝を観戦しに(浦和レッズを応援しているはずの妻氏も巻き込んで)UAEへと渡航しているのですが——さすがにスタジアムが空港内にあるとは聞いたことがありません(笑)。

 サッカー以外の各競技も含めて、将棋にしかない独特の特徴と魅力を発信する。その一環として羽田空港対局が機能したなら、それはとても意義深いことだと感じます。第4局では豊島九段が勝利し、藤井名人から見て3勝1敗となりました。そして今まさに行われている第5局は北海道の紋別市で開催されています。トップ棋士の戦いが町おこしに繋がるなら、それは何よりだなあ……と、2人の将棋への真摯な姿、美しい夕焼けに思いを馳せた対局取材でした!<構成/茂野聡士>

文=千田純生

photograph by Junsei Chida,NumberWeb