PRESIDENT Online 掲載

お笑いコンビ「TKO」の木本武宏さんは、2022年に7億円規模の投資トラブルが明るみになり、所属事務所を退所した。木本さんは「収入の柱が芸人しかないことに焦りを覚えていた。他の芸能人が堅実な投資をしている中で、僕は欲にまみれて暗号通貨などに手を出してしまった」という――。

※本稿は、木本武宏『おいしい話なんてこの世にはない どん底を見たベテラン芸人がいまさら気づいた56のこと』(KADOKAWA)の一部を再編集したものです。

■「イチオシ」のポジションから滑り落ちた

TKOは、20代前半で関西ローカルの「爆笑BOOING」という番組で5週勝ち抜いてチャンピオンになり、さらにチャンピオン同士の大会でも勝利して、グランドチャンピオンに輝きました。そこから京都のラジオ局のパーソナリティを任されるようになるなど、関西では人気のあるコンビという立ち位置になりました。

ですが、人気だったのは一瞬で、どんどんと仕事が減っていきました。関西の若手お笑い芸人ブームの終焉など、外的な要因もありましたが、基本的な原因は、僕らのコンビが若い女性にしか支持されていなかったことでした。

事務所のスタッフからは、「TKOは目の前の客を笑かしているだけ。それでは今後困るぞ」というアドバイスを受けていました。でも、僕らはそれを聞き流していました。

そんなとき、同じ事務所の後輩に「ますだおかだ」というコンビが現れ、あれよあれよという間に、関西お笑い芸人の登竜門である、「ABCお笑い新人グランプリ」を獲りました。それも、僕らにはない「漫才」というスタイルで。それをきっかけに、大阪の松竹芸能はますだおかだ推しにシフトします。僕らは“イチオシ”のポジションから滑り落ちたのです。

■AV男優にするという過激な企画まで…

推しから外れると、僕らの仕事はさらに減っていきました。深夜番組でTKOをAV男優にするという企画まで持ち上がりました。最終的にその企画はボツになり、他人に裸をさらさずにすみましたが、そんな落ちぶれた中で、母のガンが見つかったのです。

辛い時期を乗り越えて、TKOは東京に進出でき、なんとか全国区と呼ばれる芸人になりました。でも、「少しは売れたんちゃうか」からが茨の道でした。

最初に不安が大きくなっているのを自覚したのは、40代の半ばをすぎたころでしょうか。40代前半は、売れたときの勢いでレギュラーが増えます。仕事がなんだかんだでうまく回り出して、世間からも「あの人よく出ているね」といわれるようになります。ただ、50歳が近づくにつれてどんどん出番が減っていきます。