見かけは太っているので丈夫そうに思われるが、実は人並み以上に体が弱い。新聞記者時代、取材先の階段を上がるだけで息が切れ、肝心の取材もできない。うーむ、他人とは思えない。そんな主人公が出てくる菊池寛の小説がある◆「マスク」と題されたその短編は、世界で猛威をふるったスペイン風邪がほぼ収束した1920(大正9)年に発表された。感染したら死んでしまうとおびえる主人公は外出を控え、朝夕うがいに励む。新聞が報じる死者数の増減に一喜一憂…うーむ、100年前とは思えない◆やがて流行もピークを過ぎ、マスク着用をやめたころ、外出先でマスクの若者とすれ違った。以前はうれしい、安心する光景だったのに〈自分がそれを付けなくなると、マスクを付けて居る人が、不快に見える〉。ひとは勝手なものである◆あすで新型コロナの法的扱いが5類に引き下げられて丸1年。日本全体が密室のような3年間、他人が信じられない不寛容さや、世の中を支えているエッセンシャルワーカーの過重労働など社会のひずみが浮かび上がった。なのに、遠出や外食に浮かれて、思い出せないことが増えていく。スペイン風邪の歴史が忘れ去られたように◆そういえば、コロナ禍で肥満は重症化の大敵だったはず。あのころ誓ったダイエットさえ、遠い記憶のかなたである。(桑)