家具や食器など日常生活で用いられる「什器(じゅうき)」。福岡市東区にあった九州大学箱崎キャンパスで明治期の開学以来使われてきた机や棚といった歴史ある什器は、伊都キャンパス(福岡市西区、福岡県糸島市)への移転を機に多くが廃棄された。ごく一部、処分を免れたものは公共施設や店舗で活用されており、福岡県立美術館(福岡市中央区)にある「県立美術館喫茶室」でも現役として来店客を迎えている。

「在野保存」で次世代へ

 新しい市民会館の建設など再整備が進む須崎公園にある県立美術館。館内で営業する喫茶室では、100年超の歴史を刻んだ実験机や本棚など20点が使われている。

 この場所に九大の什器が置かれている背景には、歴史的価値のあるものを民間や自治体に貸し出し、観賞したり活用したりしてもらう「在野保存」という文化財保護の新しい取り組みがある。

 貴重な什器の救済・保存と研究、さらに日々の生活の中で使う楽しさを感じてもらうプロジェクトの一環。九州大学総合研究博物館の三島美佐子教授(54)が主導しており、福岡県内を中心に全国15か所ほどに貸し出している。

 幼い頃から箱崎地区に住む県立美術館喫茶室オーナーの花田典子さん(68)。九大跡地で”役割”を終えた建物だけでなく、行き場を失った什器が山積みになっているのを目の当たりにし、近隣の住民と「もったいないね」と話していたそうだ。

 大学や官公庁では、使えなくなったものは廃棄することが前提。九大でも、新キャンパスの仕様に合わない什器は処分せざるを得ず、教職員や学生は、その歴史的価値が検証されないまま処分されることに、やりきれない思いを抱いていたという。

 このままではいけない――。三島教授ら有志は2009年頃から、木製什器の”救済”に本格的に乗り出した。ただ大切に保管するだけでなく、新たな現場で活用しつつ次世代につなぐ「在野保存」の可能性を探り、什器を大切に使いながら、その価値を伝えてくれる場所がないか模索していた。

大学の”歴史”が店内に

 2022年に県立美術館内で喫茶店を始めることになった花田さん。三島教授の取り組みを以前から知っており、店で什器を活用できないか――と相談した。すると教授は「ぜひ、やりましょう」と快諾。オープンまで準備期間は1か月と短かったが、話はトントン拍子で進み、無事に間に合わせることができた。

 天井が高く、開放感のある店内には、100年以上前に作られた机、高さが2メートルほどある重厚な本棚などが配置されている。この広々とした空間では、美術本が並ぶ巨大な本棚でさえ、店の一角に行儀よく納まっているような印象だ。

 入り口付近の棚をよく見ると「九州帝国大学医科大学耳鼻咽喉科教室」と刻まれたプレートが隅に貼られている。医科大学は1911年に創設されたので、100年を超えて使われているのだろう。

 コーヒーカップが置かれたテーブルには丸い傷跡が確認できた。「おそらく実験で使ったビーカーなどの跡でしょうね」と花田さんがわずかな凸凹を見ながら言った。

 1964年に建てられた重厚な県立美術館と、喫茶室にある年季の入った什器。「年配の方だけでなく、若い人にも、どこか懐かしくて落ち着くと言ってもらえます」と花田さん。什器の存在を耳にした九大卒業生と思われる客も、姿を時折見せるようだ。

 卒業生だ――と花田さんが感じるのは、「机や棚を見る様子が、ほかのお客さんとは違う」からだ。なでるように机をさわり、角度を変えながらしみじみと、のぞき込むように“観賞”しているという。

 本人に確かめたりはしない。「せっかく遠い日の記憶をたどっているのに、邪魔をしたら申し訳ない」と、離れた場所から静かに見守る。花田さん自身、「九大の什器を店に置いてよかった」と改めて実感する時間でもあるそうだ。

「遠い日」に戻れる時間

 九大箱崎キャンパス跡からは、多く建物や什器が姿を消し、往時の面影もわずかになった。しかし、遠い日の記憶を引き寄せる「もの」に出会い、見たり触ったりすれば、「かけがえのない”その時”に一瞬でも戻れるのでは」と花田さんは話す。

 九大跡地の開発概要が決まった箱崎地区では大半の建物が解体されて整地が進む。三島教授たちが救済した2000点あまりの什器は、総合研究博物館や伊都キャンパスに保管されている。

 「箱崎キャンパス跡地の近隣や、新しくできる飲食店、パブリックスペースに優先的に貸し出したい」と話す三島教授。「1世紀にわたり使われてきた什器にふれ、多くの人がかつての九大を感じ、大学が歩んだ歴史に思いをはせてもらえたら」と願う。