「ウーマン・オブ・ザ・イヤー」に輝いた後藤若葉 photo by Ishikawa Takao

文武両道の裏側 第18回
後藤若葉(三菱重工浦和レッズレディース)インタビュー前編(全2回)

 大学ナンバーワンDF と評価され、早稲田大学ア式蹴球部の主将としてインカレ準優勝の原動力となるとともに、2023年9月には杭州アジア競技大会の主力メンバーとして優勝に貢献した後藤若葉。大学卒業時の2024年3月には大学スポーツ協会の表彰式「UNIVAS AWARDS」で、文武両道を実践し他の模範となる運動部女子学生に与えられる賞「ウーマン・オブ・ザ・イヤー」にも輝いた。現在、WEリーグの三菱重工浦和レッズレディースに所属する彼女に、文武両道のコツを聞いた。

【計画的に勉強し優秀な成績を獲得】

――UNIVAS AWARDSでのウーマン・オブ・ザ・イヤーの受賞、おめでとうございました。あらためて受賞の喜びをお願いします。

 応募した当初はUNIVAS AWARDSがどんなものかもわかっていませんでした。まず優秀賞に選ばれたことを伝えられて、表彰式のことも教えてもらいました。ちょうどオフの日だったので、表彰式に参加したら、事の重大さに気がつきました。こんなすごい賞だったんだと。まさかウーマン・オブ・ザ・イヤーに選ばれるとは思っていなくて、すごい賞をいただいたんだなと思いました。大学4年間の頑張りが認められて、素直にうれしいなと思いました。

――UNIVAS AWARDSは、学業の成績が重要なポイントです。体育会系の各部の部員上位10%のGPA(※)を獲得した人に与えられる「早稲田アスリートプログラム年間優秀学業成績個人賞」を2年連続で受賞したのが、ウーマン・オブ・ザ・イヤーに選ばれた理由のひとつでした。
※「Grade Point Average」の頭文字を略した言葉で、欧米の高校や大学などで一般的に使われている成績評価の指標

 私はスポーツ科学部だったんですが、学びたいと思ったことの多くが、サッカーに通じていたので、興味を持って勉強できました。それが成績にもつながったのかなと思います。

 よく覚えているのが、解剖学です。3年生の時にヒザのケガをしてしまったんですが、授業のなかでヒザにフォーカスした内容があって、自分の体と学問がつながったのがすごく楽しかったです。また全体的に言えることですが、授業には絶対に出席していましたし、レポートなどの提出物も必ず出していました。


UNIVAS AWARDS 表彰式での模様 photo by UNIVAS

――学業とスポーツの両立はどうやっていたんですか。

 1限に授業がある時には、そのあとに学校に残ってレポートを作成したり、次の授業の予習をしたりして、時間をうまく使うようにしていました。サッカーの準備もしっかりやりたかったので、練習の2時間前にはストレッチや筋トレをやっていました。サッカーの時間をしっかり確保するために、勉強の課題を終わらせることをつねに意識していました。

――どんなスケジュールで部活動と勉強を両立していたのですか。

 大学の最後のほうはアルバイトもしていたんですが、朝にバイトがある時には、5時半に起きて6時半から2〜3時間働いて、家に帰ったらオンデマンドの授業を受けて、15時くらいに家を出て、18時半からの練習に備えていました。21時には練習場の電気が消えるので、そこから帰ると家に着くのが23時くらい。それからシャワーを浴びて寝るという生活でした。私は自宅から通っていましたので、通学時間は片道1時間くらいでした。

――勉強がおろそかになってしまう時期はなかったんですか。

 練習時間が基本的に決まっていて、その前の時間を自分でうまく使えばよかったので、おろそかになるような時期はなかったですね。他の何かにはまるようなこともなくて、先にやるべきことを終わらせてからゆっくりしたいタイプだったので、勉強はやっていました。

 それから、オンデマンドの授業は見ずにためてしまう人がいますが、自分は時間割表みたいなものに書き込んで、コツコツと計画どおりにやっていましたので、あとできつくなることはなかったですね。

【サッカーの言語化で成長】

――それではスポーツのほうですが、早稲田大学ア式蹴球部での4年間を振り返って、どんな部活動生活でしたか。

 早稲田大学ア式蹴球部は、学生主体でつくり上げていく組織で、最初はすごく戸惑いがありました。1年生の時に先輩の4年生から「若葉は何を考えてプレーをしているの?」とか、「自分の持っているものをもっと発信してほしい」などと言われました。

 中学・高校の6年間はメニーナ(日テレ・東京ヴェルディベレーザの育成組織)に所属していましたが、その時にはメニーナの目指すサッカーがあって、それに合わせるイメージでプレーしていましたので、サッカーを言語化するのが難しかったんです

 だから早稲田に入って、少しずつ言語化していくようにしました。それでうまくプレーできるようになったことが、成功体験として積み重なっていって、チームとしてもよくなっていきました。

 4年生の時に主将という立場で、自分の思っていることを伝えつつも、周りの選手たちが思っていることをくみ取れるように、一方通行のコミュニケーションにならないように意識できたかなと思います。それを考えられるようになったのは、早稲田の4年間があったからかなと思います。

――そのなかで大学4年時に、日本の大学生として唯一、杭州アジア競技大会のメンバーに選出され、日本の優勝に貢献しました。まずは、ご自身にとってこの大会への出場と優勝はどんな意味がありましたか。

 自分はU-19日本代表としてプレーしてU-20ワールドカップの出場権を獲っていたんですが、それがコロナの影響でなくなってしまいました。女子の場合、U-20の上はなでしこジャパンのカテゴリーになるので、一気にレベルが上がります。杭州アジア大会の代表として、次のなでしこを狙う若手選手を起用してくれたのがすごくありがたかったですし、久しぶりに日の丸を背負う誇りを感じることができました。

 選出された選手のほとんどがWEリーグでプレーする選手たちで、プレーの質の高さや判断のスピードは感じましたが、逆に自分は大学リーグでやってきたなかで、通じる部分もあると感じることができたのはよかったです。

 また海外の選手との対戦で、フィジカルの強さやスピードを久しぶりに感じることができたのは、本当に"いい経験"という言葉では足りないくらいの経験をさせてもらえたと思っています。

インタビュー後編はこちら>>

【Profile】
後藤若葉(ごとう・わかば)
2001年6月4日生まれ、東京都出身。5歳の頃にサッカーを始め、中学から日テレ・東京ヴェルディベレーザの育成組織メニーナに所属。各年代の代表にも選出され、AFC U-19女子選手権2019では優勝も経験した。高校卒業後は早稲田大学に入学し、4年時には主将としてチームをけん引。関東大学女子サッカーリーグ戦1部2位、インカレ準優勝の成績を収めた。2023年8月には特別指定選手として三菱重工浦和レッズレディースに所属。同年9月の杭州アジア大会に日本の大学生から唯一選出され、全試合先発出場し優勝に貢献した。大学卒業後は浦和の一員として活躍している。

著者:text by Sportiva