一定以上の学力があることで、進路選択の幅が広がりすぎたんです。アニメや音楽が好きだったので、声優や表現者になるために専門学校で勉強したいとも考えたのですが、両親に育ててもらって培った学力がもったいないと感じてしまいました。

自分は恵まれている側なのに、進路を選べないという状況で悩んでいて、とうとう自律神経が乱れてしまい、遅刻、欠席、早退を繰り返すようになりました」

「授業に出ないで軽音部の部室に行き、ギターを弾いて帰っていた」日々は高3まで続き、高1のときは70あった校内偏差値は、2年で半分の34.5にまで落ちてしまったそうです。

3年生の途中で卒業が危ういと言われた彼女は、9月から完全に不登校になり、ついに翌年1月に退学を選択しました。

「保健室登校でいいという提案もあったのですが、高校の環境があまりにもしんどかったんです。中学のときは生徒会でリーダーシップも発揮していたし、勉強もできていたのに……。なんで私はこうなってしまったんだろう、当時は消えたいと思っていました」

高卒認定を受けて、浪人生活をスタート

彼女の現役時は、高校を中退したため、センター試験を受けられませんでした。

「みんなが受験しているときはぼーっと天井を見ていた」彼女でしたが、このころにはもう、アニメや音楽は趣味として折り合いをつけ、「自分の人生には大学受験が必要だ」と浪人の決意を固めたようです。

「自分が社会で発揮できる武器は、やはり学力だと考えられるようになりました。だから、大学に行ってその能力を磨くことが必要だと思ったんです。高校に入ってからずっと両親と喧嘩していたのですが、覚悟を決めて『京大に行く!』と宣言したら応援してもらえるようになりました」

「もともと父が通った京都大学に憧れがあり、中学時代も京大をテーマにした小説をたくさん読んでいた」と語る竹末さんは、父親が働く北九州予備校の寮に入り、高卒認定を受けて浪人生活を送ることに決めました。

ここでは高校とは打って変わって、チューターや寮長さん、寮母さんなどの周囲の大人にとても優しくしてもらえたそうです。

しかし、最初の1年は高校時代に崩れた生活リズムを取り戻すのに精一杯でした。