今年の大河ドラマ『光る君へ』は、紫式部が主人公。主役を吉高由里子さんが務めています。今回は紫式部に言い寄り、後に夫となる藤原宣孝のエピソードを紹介します。

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996年、紫式部は父・藤原為時の赴任に伴い、越前国(福井県)にいました。しかし、雪国での生活は、式部の肌に合わなかったようです。望郷(京)の念につねに取り憑かれていました。

年明け早々に舞い込んだ一通の手紙

そんな式部に、一通の文が舞い込んできます。それは、年が明け早々の時期でした。手紙の送り主は、昨年も式部に手紙を寄越していたようで、そこには「年が明けましたら、唐人を見にそちらに参りますよ」などと書いてあったようです。

そして、年が明けて送ってきた手紙には「春になれば、氷さえ東風に解けるもの、人の心もうち解けるものだと、教えてあげたいものです」と記されていました。

文を見た式部は、例により、一首詠んでいます。

「春なれどしらねのみ雪いや積り解くべきほどのいつとなきかな」(春には解けるものなど、とんでもないことです。この国の白山の雪は春が来ても、いつ解けるかわかりません)という意味です。要は、手紙の送り主の考えを一蹴しているわけです。