NHK大河ドラマ「光る君へ」がスタートして、平安時代にスポットライトがあたっている。世界最古の長編物語の一つである『源氏物語』の作者として知られる、紫式部。誰もがその名を知りながらも、どんな人生を送ったかは意外と知られていない。紫式部が『源氏物語』を書くきっかけをつくったのが、藤原道長である。紫式部と藤原道長、そして二人を取り巻く人間関係はどのようなものだったのか。平安時代を生きる人々の暮らしや価値観なども合わせて、この連載で解説を行っていきたい。連載第20回は、清少納言と定子のエピソードを紹介する。

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清少納言は絶頂期の定子のもとへ

まともに正視することができない……。それほど輝く人と出会うことが、人生にはあるらしい。

『枕草子』を書いた清少納言にとっては、一条天皇が寵愛した藤原定子が、まさにそんな存在だった。几帳の後ろから定子を見て、清少納言はこんな感想を抱いた。

「かかる人こそは、世におはしましけれ」

こうした方が世の中にはいらっしゃるのだなあ……。ただただそう感嘆する清少納言の胸中がよく伝わってくる。

清少納言が定子に仕えたのは、正暦4(993)年。時の権力者となった藤原道隆が娘の定子を一条天皇に入内させて、3年が経った頃のことだ。

その前年の正暦3(992)年、伊周は19歳の若さで、権大納言に任ぜられている。この時点で、8歳年上の叔父・藤原道長と並ぶことになった。さらに、正暦5(994)年には伊周は内大臣にまで上り、権大納言にとどまる道長を抜き去っている。