6月9日、昨年6月13日にBS-TBSで放送され、大きな反響を呼んだ特別番組「沢田研二 華麗なる世界 永久保存必至!ヒット曲大全集」が再放送される。

思い返せば、彼が“世紀の大リベンジ”をやってのけたのも、昨年の6月だった。

2018年10月17日、さいたまスーパーアリーナライブの開演1時間前に、空席が多いからという理由でコンサートをキャンセル。世間を騒がせた彼はファンに謝罪し、「必ずリベンジします」と宣言した。

そしてその言葉通り、5年後の2023年6月25日にさいたまスーパーアリーナ「まだまだ一生懸命」ツアーファイナルバースデーライブを大成功させた。

変わらない歌声。躍動するパワー! WOWOWによるライブ中継も相まって、X(旧Twitter)には「#沢田研二」がトレンド入り。そのパフォーマンスへの賛辞と興奮冷めやらぬ感想が途切れることはなかった。

“オワコン”扱いされたりもしたが…

あれから1年経つが、彼の勢いは止まっていない。「80まで歌い続ける」と宣言し、時代の先端を走り続けている。

私が生まれたときにはもう、ジュリーは大スターであった。

1967年、ザ・タイガースの一員としてデビューし、フォークでもロックでもない、まったく新しい“グループサウンズ”旋風を巻き起こした。1971年にソロデビューしてからは、「危険なふたり」や「時の過ぎゆくままに」など名曲を連発し、女性は彼に恋焦がれ、男性はその声にブランデーを飲みながら聞き惚れる――、そんな唯一無二の世界を作り出した。

1980年には「TOKIO」、翌年には「ス・ト・リ・ッ・パ・ー」など、自らの体をアートのごとく彩り、ポップアイコンとして新たな表現に挑戦した。