山形市薬師町2丁目の老舗料亭・亀松閣にこの春、母娘3人の笑顔がそろった。社長で料理長だった笹原智美さんが59歳で急逝してから7年。妻で女将の史恵さん(58)と、父の後を継ぎ調理場に立つ次女百可(ももか)さん(26)に、長女三聖(みさと)さん(29)が京都での修業を終えて若女将として加わった。3人は「訪れてくれる方の声が励みになる。気を引き締めて頑張りたい」。県都に根付く料亭が顔ぶれ新たに歩み出した。

 亀松閣は1881(明治14)年、明治天皇の行在所(あんざいしょ)として建築された。後に民間へ払い下げられ、冠婚葬祭やビジネスなどで利用されている。歴史を感じるたたずまいの中で、智美さんが提供する京都と山形の味を融合させた料理が評判を呼んだ。

 2017年4月、智美さんが急性心筋梗塞で亡くなった。突然のことで、史恵さんは「対応することが多くて、寂しいと思う余裕はなかった」と振り返る。常連客や智美さんの同級生が訪れてくれたが、板場のことが分からず、行き詰まってしまったことも。それでも「娘たちにたすきを渡すまでは」と前を向いた。

 当時、大学4年だった三聖さんと、短大2年の百可さんは京都で修業することが決まっていた。寂しさや不安はあったが「2人が戻るまで、しっかり店を守るから」という史恵さんの言葉に押され修業に励んだ。

 百可さんは、智美さんと同じ京都の料亭・瓢亭(ひょうてい)で経験を積んだ。マニュアルのない職人の世界で、周りに女性はほとんどいなかった。「自分に足りないものを考える日々」を過ごし、21年に亀松閣に戻った。今も何を改善するべきか自問を続け、調理の業務に生かしている。

 三聖さんは京都吉兆の嵐山本店で接客業務などを担当した。細部まで行き届いたおもてなしに、「よく考えて動くということを学んだ」。2月に山形に戻り、現在は接客から庭の植木の水やりまで幅広く業務を経験している。「お客さまが歓迎してくれるので、期待に応えたい」

 史恵さんは「1人でたすきをかけて走っている気分だった。2人にやっと渡せる」。三聖さんと百可さんは「今度はたすきを受ける立場。(智美さんが)見てくれているはず。待ってくれている人のためにしっかりしないと」。3人は晴れやかな表情を見せた。