「失われた絵画を再生する」 [著]木下悠

 無理だ、と笑われたという。あるのは明治期に写された一枚の白黒写真だけ。そこから関東大震災で焼失した北斎の大作「須佐之男命(すさのおのみこと)厄神退治之図」という大絵馬を復元する。とほうもない努力が始まる。あたかも犯罪捜査のドラマのようだ。といっても、快刀乱麻の名探偵物ではなく、ただひたすら地道な捜査と推理である。
 北斎が使っていた絵具を調べる。それに基づいて色を作り、白黒写真にしてどのような濃淡になるか実際にやってみる。当時の撮影条件を再現しなければならないので、光源はどうだったのか、感光材料は何かを推理する。そうして、写真の白黒の濃淡と色使いとの対応が推定される。それでもなお検証と修正が繰り返されねばならない。この復元作業をひとことで言えば、つまり、地味にすごい。
 次は大坂冬の陣図屏風(びょうぶ)の復元である。残されているものは「模本」と呼ばれる設計図のようなもののみ。そこには多少省略された線描に部分的な淡彩が施され、彩色に関して「題目の指物(さしもの)は地朱文字金なり」といった留書(とめがき)が膨大に記されている。その情報をとことん読み込む。しかし、それでも情報は十分ではない。
 三つ目は、モネの「睡蓮(すいれん)、柳の反映」。なんと上半分が失われている。さすがに無理と思われたがカタログ・レゾネに白黒写真があった。ところがこれが絵の全体ではない。元のガラス乾板なら全体が写っているだろうと探したら、あった。奇跡、と言いたくなる。
 しかしモネは、そのとき出会った一期一会の光と色を描く。それは失われたならばもう復元できない。限界を感じつつ、画家がこれをどう描いたのかに迫ろうとする。
 たんに一枚の絵が復元されているのではない。絵を描くという行為そのものが復元される。木下さんは、復元を通して絵を見るということの本質に触れている。絵を見るとは、身をもって絵をうつすことなのだ。
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きのした・ゆう TOPPAN文化事業推進本部所属。本書で紹介する復元プロジェクトのほか、文化財活用にも取り組む。