『エンジン』のアーカイブから貴重な記事を紹介する「蔵出しシリーズ」。今回は2016年8月号に掲載されたランボルギーニ・ミウラSVの試乗記を取り上げる。ミウラは先日亡くなったカーデザイン界の巨匠、マルチェロ・ガンディーニの手によるスーパーカーの始祖と言われるスポーツカーだ。山崎氏がドライブしたのは、その最終型となるミウラSV。貴重な1台を存分に走らせた山崎元裕のリポートとは?


北イタリアのサンベルナール峠

ミウラが誕生して50年目にあたる今年、ランボルギーニがそれを記念して、さまざまなイベントを開催している。ここでリポートするのは、先日メディアのために用意されたイベントで、そのタイトルは「ザ・イタリアン・ジョブ・リローデッド」。1969年に公開された映画、ザ・イタリアン・ジョブにおいて、ミウラが走行する冒頭のシーンが撮影されたロケ地、北イタリアのサンベルナール峠と、その周辺の道路を完全に封鎖し、ここで望むままにミウラを走らせることができるという、実に刺激的な内容のイベントだ。

1965年のトリノ・モーターショウで、4リッターのV型12気筒エンジンをミドシップに横置き搭載したベア・シャシー、TP400を世界初公開し、翌1966年のジュネーブ・ショーで、ベルトーネ製の流麗なボディを組み合わせて発表されたのが、ミウラの最初のモデルとなったP400ミウラだ。ランボルギーニはその後、1968年には改良型のP400ミウラSを、さらに1971年には最終型となるP400ミウラSVをリリースしている。

今回我々のために試乗車として用意されたのは、ランボルギーニのオフィシャル・ミュージアムである、ムゼオ・ランボルギーニが所有するSとSVの2台。どちらをドライブするかの選択はドライバー自身に委ねられたが、やはりグラマラスなリア・フェンダーや、まつ毛がなくなったシンプルなデザインのヘッドランプなど、ミウラ・シリーズの中でも独特なアピアランスを持つSVを指名することに迷いはなかった。

V型12気筒エンジンは、圧縮比の向上やキャブレターの変更、さらにはカム・プロファイルの見直し等々のチューニングによって、SVでは最高出力を385psにまで高めている。ちなみにファースト・モデルのミウラは350ps、Sは370psというのが、当時発表されていたパワー・スペックだ。組み合わされる変速機は5段MT。この大きく重いパワー・ユニットを横置き搭載するがゆえに、ミウラは限界域においては非常にトリッキーな挙動を示すということを、これまでも何回となく聞かされてきた。用心せねば。


これこそ官能的な喜び

エンジンをスタートさせ、まずはかなりゆったりとしたペースでSVの走りを楽しんでみた。さまざまな快適装備、あるいはスタビリティを確保するための電子制御デバイスを搭載する現代のモデルに慣れた身には、スーパーカーの始祖ともいえるミウラは、その第一印象からきわめてスパルタンなテイストを感じさせるモデルだった。キャビンの後方から伝わるエンジンのメカニカル・サウンドは実に官能的で、キャブレターが奏でる吸気音とともに、それだけでドライバーの心を大いに刺激してくれる。そして気がつけば、いつしかさらに魅力的に感じる高回転でのサウンドを楽しみつつ、シフトゲートが刻まれた5段MTをリズミカルに操作する自分がそこにいた。

ブレーキングからステアリングを操作、ここからロールが発生し、再びコーナーを脱出するためにアクセル・ペダルを踏み込む。この一連の操作と実際の動きが、完全にマッチングした時の喜び、あるいは達成感は、やはり特別なものだった。

そして、もうひとつ忘れてはならないのが、このミウラというモデルが持つ、究極的な美しさだ。今回のイベントには、ミウラの生みの親ともいうべき、ジャン・パオロ・ダラーラとパオロ・スタンツァーニ、そしてベルトーネ時代にミウラをデザインした、マルチェロ・ガンディーニというレジェンドも姿を現したが、彼らはこのミウラの誕生によって、ランボルギーニはそれを所有することを人に強くアピールできる存在になったのだと語ってくれた。その理由が速さとともに、造形の美しさにあったことは、誰もが認めるだろう。

デビュー50周年を迎え、ますますスーパーカーの始祖としての存在感を強めるミウラ。その魅力はこれからも永遠に変わることはないだろう。

文=山崎元裕 写真=アウトモビリ・ランボルギーニ S.p.A



(ENGINE2016年8月号)