◆JERA セ・リーグ ヤクルト2―0広島(15日・松山)

 ヤクルト・村上宗隆内野手が、史上最年少24歳3か月で通算200号に到達した。広島戦(松山)の8回2死、矢崎からリーグトップとなる9号ソロを右中間へと放ち、1992年に清原和博(西武)が記録した24歳10か月を更新した。「まだまだ通過点」と高みを目指す主砲が、歴史に名を刻んだ。

 希代のスラッガーが「原点」と表する地で200本目のアーチを描いた。村上の打球は大歓声に後押しされるように、大きな放物線を描いて右中間席に吸い込まれた。1―0の8回2死。矢崎のフォークを完璧に捉えた。「久々にいい感触のホームランだった」と頬を緩め、「1年目から松山でたくさん練習して、原点だと思っています。そういう場所で節目のホームランが打てたのはうれしいです」。新人だった18年の秋季キャンプではとことん走り、打ち込み、プロで生き抜く下地をつくった松山でまた一つ忘れられない思い出を刻んだ。

 ルーキー時代の18年9月16日の広島戦(神宮)で、プロ初打席初本塁打の離れ業を披露してから2068日。清原超えとなる史上最年少のメモリアル弾にも、あくまで「通過点」だと強調した。

 節目の記録に王手をかけてから8戦34打席連続ノーアーチで、快音も21打席ぶりだった。期待をあおるような報道陣に対して、お立ち台では「打てる時ばかりじゃねえぞ。僕のことを何だと思ってるんだ」と笑わせ、囲み取材では「正直うっとうしかった」と漏らした。人知れず重圧とも闘っていたからこその本音だった。

 プロ2年目の19年に小学6年から中学3年までプレーした熊本東リトルシニアに「お世話になったので」と、背番号「55」の刺しゅうを入れたユニホーム30着を寄贈した。プロになるという夢を育んでくれた地元の少年野球チームへ感謝の思いからだった。

 故郷の熊本でも野球人口の減少が顕著。将来的に野球教室や「村上宗隆杯」といった冠大会の開催を望む地元の声も多い。村上自身も「今のところは考えていないですけど、そういう話や機会がくればやりたい」と、前向きな姿勢を示すなど、広く野球界のことも考えている。

 「ホームランを200本打ったっていうだけですし、それで僕の野球人生が終わりじゃない。まだまだこの先たくさん野球をやると思うので」と締めた“村神様”。これからも見る者を魅了するアーチを描き続ける。(長井 毅)

 【記録メモ】

 ▼…ヤクルト・村上宗隆内野手(24)は15日、対広島6回戦(松山)の8回に矢崎から9号を放ち、通算200本塁打を達成した。プロ野球115人目。24歳3か月は、清原和博(西)の24歳10か月を抜いて最年少になる。

 ▼…試合数は730試合目。試合数の最速はカブレラ(西)で、538試合。730試合目での達成は10番目。日本人では、697試合の山川(西)、714試合の田淵幸一(神)、秋山幸二(西)に次いで4番目になる。

 ▼…今年は7年目。年数の最速は5年のバース(神)、カブレラ、ウッズ(中)。7年目での達成は王貞治(巨)、長池徳二(阪急)、田淵、原辰徳(巨)、清原、松井秀喜(巨)、村田修一(横浜)と並んで日本人最速。高卒7年目は王、清原、松井に並び最速年数。