どれほど言葉を紡いでも、2024年ジロ・デ・イタリアでタデイ・ポガチャルが成し遂げた偉業を、正確に言い表すことなどできないだろう。ばら色の自転車に乗って、マリア・ローザが今大会6つ目の区間勝利をさらいとった。総合2位以下には、9分56秒という歴史的大差を付けた。残された使命はただ1つ。「終わりのないトロフィー」を受け取るために、5月最後の日曜日、永遠の都ローマへと乗り込む。

「3週間のレースというのは、決して簡単ではないんだ。でも、間違いなく、このジロは僕のキャリアで最高のグランツールだったと断言できる。バイクの上でも、バイクの下でも、必ずしも楽しいことばかりではなかった。でも3週間を通して脚の調子は最高だった」(ポガチャル)

土砂降りの雨の中、スタートと同時に、がむしゃらなまでのアタック合戦が巻き起こった。少しずつ、ほんの数人ずつ、勇敢な選手が前方へと飛び出していく。30kmほどの攻防で、ついには11人が逃げ出した。

ただタイム差が4分に広がると、素早くUAEチームエミレーツがタイム差制御に乗り出した。3週間通して揺るぎない仕事を続けてきたマリア・ローザ親衛隊は、この日も、逃げにそれ以上の余裕を決して与えようとはしなかった。

「(フアン)モラノとルイ(オリヴェイラ)は、スタート直後に完璧な仕事をしてくれた。アタックに対応し、あまり大きな逃げが出来上がらぬよう監視した。これは非常に大切な作業だった。その後も最初の山まで、2人はよく働いてくれた」(ポガチャル)

11人の中で、逃げた甲斐があったのは、おそらくアンドレア・ピエトロボンくらいのものだ。フーガ賞605kmでダントツ1位を突き進む25歳は、75.3km地点の第1中間ポイントで3位通過を果たし……中間ポイント賞首位に再浮上。最終ステージを上手くやり過しさえすれば、ローマでは、2度も表彰台に上がることになる。

モンテ・グラッパの登坂前に、お天気がすっかり回復したことは、誰にとっても幸いだった。ただ、その長くて険しい山道に脚を踏み込んだ途端、逃げ集団はあっさり崩壊する。なんとか3選手が粘り続けていたが、後方では、UAEがさらにペースを上げていた。

「1回目の上りでは、ミッケル(ビョーグ)と(ヴェガールスターケ)ラエンゲンがずっと良いリズムを保ってくれた。山頂まで問題なく続けてくれたから、おかげで下りもリスクを冒す必要がなかった」(ポガチャル)

つまり、ポガチャルは、この時点でレースに鍵をかけてしまうつもりもなかった。フィニッシュまではいまだ80km近く残っていたし、そもそもモンテ・グラッパを2回攻略するうちの、1回目に過ぎない。「下見はしていない」と断言していたマリア・ローザにとって、1回目の上り下りは、下見代わりでもあったはず。だから山頂の数キロ手前、逃げとの差が1分半に縮まった時点で、ジュリオ・ペリツァーリがメイン集団から単独で飛び出していっても……一旦は黙認した。

ペリツァーリの第1の望みは、おそらく山岳ポイント収集だった。残るポイントは計80ptで、山岳賞首位ポガチャルとの差は82ptだったから、逆転はそもそも不可能。それでも、もしも1級モンテ・グラッパで最低でも5位通過(6pt)を果たせば、2位に再浮上はできる。そして2位に浮上すれば、少なくとも最終ステージを、青いジャージ姿で走ることができるのだ。少年時代から憧れてきたポガチャルの代わりに。

第16ステージではラスト700mまで逃げ続け、自らを非情にも抜き去ったポガチャルに「イタリア自転車界の明るい未来」と称賛されたペリツァーリは、この日も素晴らしい山の脚を披露した。いまだ前を走る数人を大急ぎで抜き去り、山頂直前、ついには逃げの3選手に追いついた。そのまま猛烈に踏み込み、堂々先頭通過、大量40ptを手に入れた!

最初から逃げていたチームメイトの助けを得て、その後もペリツァーリは先を急いだ。一時はマリア・ローザ集団に45秒にまで差を縮められたものの、夢中で下りをこなしたせいか、再び2分40秒にまでこじ開けた。ただ2回目のモンテ・グラッパ登坂にさしかった直後、残り47km、ペリツァーリは早々に1人になった。

一方のポガチャルには、いまだ5人の仲間がついていた。まずはラエンゲンが引き、続いてビョーグが牽引を請け負った。すでに1回目の上りでたっぷり働いた2人が全力を尽くし終えると、今度はフェリックス・グロスシャートナーがテンポを刻む番だった。さらにドメン・ノヴァクにバトンが渡ると、いよいよペリツァーリとのタイム差も急激に縮んでいく。

そして2回目の山頂まで約8km。キャプテン役ラファウ・マイカが、今大会最後の作業に取り掛かった。「もっと速く走らなきゃならない。集団にもっとダメージを与えなきゃならない」と、渾身の力を振り絞った。

総合6位にして、新人賞では41秒差の2位につけるテイメン・アレンスマンが、真っ先にふるい落とされた。総合4位ベン・オコーナーが苦しみ、総合3位ゲラント・トーマスさえじわじわと後退していく。

「文字通りスタートから、全員で、全力で仕事を続けた。チーム全員がこれほどまでのハイパフォーマンスを披露できたことを、嬉しく思う。僕も最後は全力で引いた。ついてこられる選手はもはやそれほどいなかったね。そしてタデイは……スーパーマンのようだった!」(マイカ)

もちろん最後は、ポガチャルが、チーム総出の作業を軽やかに締めくる。鋭く加速を切ると、すべてを一瞬で置き去りにした。さらには、いまだ50秒先を逃げていたペリツァーリをも、あっという間に回収した。自らを慕う5歳年下のクライマーに、「一緒においでよ」と声をかけては見たものの、結局のところ、ランデブーは1km半ほどしか続かなかった。残り34km、マリア・ローザは長く輝かしいウイニングランへと走り出した。

道の果てには今大会ステージ6勝目と、グランツール通算区間20勝目が待っていた。スプリンターならば、20年前のジロで、アレッサンドロ・ペタッキが区間9勝という快挙も成し遂げているけれど、総合覇者が大量6勝をもぎ取ったのは、1973年大会のエディ・メルクス(ただし1勝目はデュオTT)まで遡る。まさにニュー・カニバル。

ステージ後に、6勝目を手に入れる「必要」があったのかどうかと問われたポガチャルの答えは、ノーだった。むしろ勝ちたいという「欲求」が大きかったのだと認める。また1998年以来初のジロ&ツールダブル制覇を狙う王者は、ツール・ド・フランス開幕を約1ヶ月後に控え、最後にもう1度だけ山の脚を試しておきたかったのだとも打ち明ける。

「このジロを良い気分で、良い脚で、良い体調で終えたかった。その願いを叶えられたことが、本当に嬉しい。なにより今ステージは、夏に向けた最後の山岳テストだった。だからすべてが上手く行ったことに満足している」(ポガチャル)

アタックの直前まで後輪にしがみついていた総合2位ダニエル・マルティネス、5位アントニオ・ティベーリ、8位エイネルアウグスト・ルビオは、もはや無駄な抵抗はしなかった。はるか遠くの手の届かない存在ではなく、誰もが現実的なライバルとの戦いに集中した。特に表彰台へのジャンプアップ目指して、上りでも、下りでも、ティベーリは勢力的に攻め続けた。

ただオコーナーにとって幸いだったことに、「脚は今大会最高の調子だった」ヴァランタン・パレパントルが側についていた。マイカの加速で気持ちが切れかかったエースを、第10ステージ区間覇者は叱咤激励し続けたという。すぐに合流したトーマスも「彼ら2人と一緒に走れたのは幸運だった」と振り返る。おかげで上りで差を最小限に留め、長い下りで、無事にマルティネス集団との合流を成功させた。

最終的に総合2位から5位まで、ポガチャルから2分07秒遅れで揃って1日を終えた。マルティネスは人生初のグランツール表彰台乗りを達成し、この日が38歳の誕生日だったトーマスは、2年連続のジロ表彰台を確定させた。オコーナーは2021年ツール総合4位に続いて、またしても総合4位に終わることになるけれど……デカトロン・AG2Rラモンディアルのチーム総合首位はもはや揺るがしようがなく(2位イネオスに44分以上もの差をつけている)、チーム全員でローマの表彰台を楽しむことができそうだ。そしてティベーリは、大会の母国イタリア人としては9年ぶりに、新人賞に輝く。

ちなみに山頂ですでに2分差をつけたポガチャルが、勝利を早々と確信し、ラスト数キロでファンサービスを始めてしまったせいか、それともマルティネスが第2中間ポイント2位通過(2秒)+フィニッシュ3位(4秒)のボーナスポイントを収集したおかげか……総合首位と2位の差はぎりぎり10分に達しなかった。それでも9分56秒差は、ジロでは1965年(11分26秒)以来の大差。グランツール全体を通しても1984年ツール(10分32秒)を最後に、過去40年、これほどの独裁は見られなかった。

「タイム差なんて重要ではない。たとえ1秒差だって、勝ちは勝ち。このジロでは、ただ単純に大差がつく流れになっただけ。でも決して簡単な戦いなんかじゃなかった。僕は2位の選手にも、3位の選手にも、そして毎日戦い続けたすべての選手に敬意を表したい」(ポガチャル)

序盤2日間を除いて、後はひたすらマリア・ローザをまとい続けてきたポガチャルの、ピンク色の日々もいよいよ大団円を迎える。

文:宮本あさか