神戸の煎餅屋で、今も手焼きでつくられている一口サイズの「野球カステラ」が絶滅の危機にさらされている。現在店舗は市内に8軒しかなく、10年後には何軒残るか分からないと言われている。先日、そんな野球カステラの取材をしていると、絶滅の危機から救おうと活動する1人の男性に出会った。

◆「今やらなかったら野球カステラは絶滅してしまう」

「野球カステラ愛好会」を立ち上げて業界を盛り上げようとしているのは、神戸市在住の志方功一さん。神戸市職員でもある志方さんは、2019年にさまざまな社会課題をつないで解決に導く部署に配属され、神戸名産の瓦煎餅業界の活性化に取り組んだ。そのときに煎餅屋が野球カステラを焼いていると知り、店によって型が異なる面白さや歴史の深さにハマったことが活動のきっかけになった。

市の仕事は瓦煎餅業界の活性化案を提案して終了したが、すでに魅力にどっぷりとハマっていた志方さんはプライベートで活動を続けることに。愛好会を立ち上げ、職場には「地域貢献応援制度」を活用した副業許可も得て活動している。

活動を始めてからも野球カステラを焼く店の閉店は続く。特に、湊川の東山商店街で絶大な人気があった「楠堂本家」の閉店は志方さんにとっても衝撃だった。当時店主は79歳。この店舗に限らず現在残っている職人さんは70歳以上がメインだ。「今やらなかったら野球カステラは絶滅してしまう。この機会を逃したらあかん」とあらためて感じたと話す。

◆ コアすぎる「野球カステラ愛」、そこに救われる地元店も

時間を見つけては各店を訪問して高齢の職人さんたちと世間話をしながら体を気遣い、各店の最新情報や野球カステラの魅力をSNSで発信する。制作する「野球カステラマップ」は、店舗情報や型の特徴などをみっしりと手描きし、現在も追記している。

また、大正時代に生まれたとされている野球カステラ関連の資料も収集研究しており、一般の人には馴染みが薄い審判がボールカウントを確認するための道具「インジゲーター」については、「元祖の焼き型のアイテムにも入っていたと思われるインジケーターは、何らかの事情によりカバンに変わりました。もしかしたら、カバンに進化したものと、そのままインジケーターの形を残したものとに別れたのかもしれません」と、マニアックに考察。

「神戸のお店ですとインジケータータイプ4店、カバンタイプ4店になっています。カバンに進化した理由としては、インジケーターがマイナーすぎてうけが悪かったので、来日したベーブ・ルースが似たようなトランクを持っていたからカバンにしたのではないかと想像が膨らみます」。取材中も次から次へと逸話が飛び出してくる。

志方さんが地道に野球カステラの存在をアピールしてきたことで、最近は取材される店が増えて客足が伸びた。活動の初期から協力している「久井堂」(神戸市兵庫区)の店主・宇野定男さん(81歳)の息子の克也さんは「志方さんが4、5年前に活動を始めてくれたおかげで、僕らはコロナも耐えられた。野球カステラを焼いているところは志方さんの恩恵を受けていると思いますよ」と感謝する。

◆ 活動が実を結び…「若手職人」が店をオープン

今年、志方さんの活動のひとつ「焼き型バンク」が大きな実を結んだ。「手焼き煎餅 えみり堂」(神戸市兵庫区)が、焼き型バンクを利用して3月13日にオープンしたのだ。

焼き型バンクは、閉業した店から引き継いだ道具やアンティークショップなどで集めた焼き型を、神戸煎餅協会の協力のもと、新たに店を立ち上げる若い職人に無償で貸し出す活動だ。

「えみり堂」店主の和田絵三子さんは、「新品の焼き型は40万円くらいになるから、300円ほどの野球カステラを売ってでは30年続けたとしてもわりが合わない。でも焼き型バンクを利用することで、お店をオープンすることができます」と話していた。

「えみり堂」の開店はうれしいニュースだったが、新たに修行している人はいないうえに、70歳以上の職人さんたちの引退が迫っている。「みんな引退されて道具だけが集まったら、道具を保管している私の部屋の床が抜けるかも」と笑う志方さんは、あえて目標は設定していないと話す。それでも「今いる職人さんたちに少しでも長く野球カステラを焼いてもらって、『えみり堂』のように新しくオープンする職人さんが現れてくれたら」と胸の内を明かした。

取材・文・写真/太田浩子