グローブやバット、ボールなどの形をした神戸名物「野球カステラ」が、可愛いビジュアルとやさしい味わいで再注目されている。ところが、まちの煎餅屋の職人が重い焼き型を操りつくられる野球カステラは、高齢化と後継者問題で絶滅の危機にある。神戸の名店「久井堂」(神戸市兵庫区)で職人の父を手伝う息子さんを取材した。

◆「店は継がないです」と息子は言う、なぜ?

「久井堂」を訪れると、ちょうど野球カステラのタネを用意しているところだった。前日から寝かしていた煎餅の生地に、卵を入れる作業だ。大量の白身はメレンゲにするが、加減しながらきめ細かく泡立てる作業もここではミキサーなどを使わずに手作業で混ぜる。

81歳の煎餅職人の父・宇野定男さんは「これがしんどい。でも、この作業がないとこだわりのふんわり感は出せへん」とつぶやく。そんな父の体を気遣い、仕事の合間に店を手伝う息子の克也さん(53歳)が、父の代わりにメレンゲを泡立てる。

「久井堂」は定男さんが25歳のとき、創業した。克也さん(息子)によれば、お爺さんは定男さんを煎餅屋にするつもりで、高校を卒業してからずっと店を手伝わせたという。「父は昭和43年に独立し、すでに結婚していたから、母とずっと煎餅一筋」と振りかえる。

そんな定男さんをあうんの呼吸でサポートする克也さんだが、「店は継がない」と一言。「小学校の頃、頑張って作っている煎餅を売るために取引先に頭を下げる父を見て悔しくてね。それに手伝ってきたなかで自分にはできひんと思ったから。やれと言われなかったし・・・」

以前定男さんが入院したとき、克也さんはレシピ動画を元に野球カステラを焼いてみたが、ちっともうまく焼けなかったと言う。今もトイレに立つ父の代わりに焼き場に座ることはあるが「父と同じように焼けない。火加減を合わせ、同じタネを使っているのに、味が全然違います」と、玄人の技の深さを実感している。

◆ 後継者が頭を悩ますワケとは?「父の十八番」

同店の野球カステラは、焼き型に絶妙な量の生地を流し込み、ふっくらと膨れるように焼かれているのが特徴だ。その日の気温、湿度、タネの状態、火加減、型を裏がえすタイミングなど、すべての要素が熟練の感覚や経験によるところが多く、後継者が頭を悩ます理由でもある。 

「必死に手伝ってきましたが、自分には職人の道は険しいと実感したんです。でも、野球カステラは世界に広めたい」と、兄とともにSNSの発信にも力を入れる克也さん。しかし、1日に手焼きできる量も、おやつとしての需要にも限界がある。店を生活の糧とするには1日10時間以上の重労働に加え、大規模な販路開拓が必要となるなどハードルは高い。

「野球カステラは父の十八番でも、自分が煎餅を上手に焼けるようになったら、父もちょっとは楽ができるかな。みんなに喜んでもらえる商品が作れるうちは、頑張りたいですね」。克也さんは、今後もできる限り父を支えていくつもりだ。

現在、神戸市内で野球カステラを焼く店は「久井堂」含めて8店。ほとんどの職人が70歳以上で後継者はいない。10年後には何軒残っているか分からないと言われている。

取材・文・写真/太田浩子