5月1日、NHKの『ニュースウオッチ9』で“イップス”であったことを告白したDeNAのプロ3年目の投手、徳山壮磨。「どん底だった」と語る2年目までの苦闘、そして今季、一軍のマウンドに上がるまでの話を聞いた。(Number Webインタビュー全2回の第1回)
訊くことは憚(はばか)られたが、ひとつだけ確認したいことがあった。
運動障害である“イップス”を克服したというが、例えばひどく打ち込まれるなど、何かの拍子で再発してしまう恐怖心はないのだろうか。いつしか押し留めていた感情があふれ出て、また塗炭の苦しみを味わうのではないか。そこに不安はないのか。
思い切ってそう問うと、徳山壮磨は一瞬表情を硬直させたが、すぐに穏やかな柔らかい笑顔を見せた。
「はい、大丈夫です。そこに不安はなくて、もし仮にまたこういった現象が起こったとしても、しっかりと積み上げてきたものがありますから。技術にしてもメンタルにしても、『自分はここだ』って立ち返る場所ができたんですよ。以前はそれがなかったから大変だったけど、そこが作れたのは自分にとって大きかった」
“ゼロ地点”を見つけられたからこそ、迷いなく自分の力を発揮することができる――。
“火消し”でチームを救う役割
プロ3年目の今シーズン、横浜DeNAベイスターズの徳山は、J.B.ウェンデルケンや入江大生を欠くリリーフ陣にあって獅子奮迅の活躍を見せている。アベレージ150キロのストレートを武器に、僅差のビハインドから火消し、勝ち試合まで、首脳陣からの信頼がなければ起用されないシビアな場面でマウンドを任され、懸命に腕を振っている。
ここまでの成績はリリーフとして11試合を投げ防御率1.64、4ホールド(5月5日現在)を記録するなど、十分な数字を残している。徳山は、開幕からの怒涛の1カ月間を振り返る。
「やっとここに来られた、という気持ちです。けど、まだ始まったばかり。とにかく1年間やりきって評価されるのがプロだと思いますし、だから今は一喜一憂せず、最後まで戦うことを目標に毎日必死に投げています」
ピンチであろうが、負けている場面であろうが…
引き締まった表情で徳山は続ける。
「過去2年、いつかは立ちたいと思っていた場所で、ようやくプレーすることができています。だからピンチであろうが、負けている場面であろうが、ここで投げられる幸せというか、ありがたさをすごく感じているんです。今やれているのは、当たり前じゃないし、この気持ちを忘れないようにやり続けなくちゃいけない」
実感のこもった声の響き。徳山の言う通り、ルーキーイヤーから2年間、一軍の舞台に立つチャンスを掴むことができなかった。
プロ入り後に起きた異変
大阪桐蔭高校時代は春のセンバツで中心選手として優勝を経験し、進学した早稲田大学ではベストナインに選出、そして2021年のドラフト会議でDeNAから2位指名された。いわばエリート街道を歩んできた徳山だが、プロになり輝かしい未来が待っていると思いきや、苦しみに満ちた2年間だった。
思うようにボールが投げられない――。
体に異変が起こったのは、入団間もない頃だった。徳山いわく「自分自身に矢印が向いてしまった」ことが要因だった。
「相手ではなく自分と戦ってしまったんです。学生時代は自信を持って投げていましたが、相手がプロのバッターとなり、ストライクゾーンも狭くなって、打たれちゃいけない、甘くなっちゃいけないって、マイナス要因が頭の中を支配するようになってしまったんです。今まで考えずにできていたことが、できなくなってしまった……」
いいところを見せなくちゃいけない
即戦力として期待する周囲からの視線も、徳山のマインドを悪い方向へと誘った。
「プロになると、試合のみならず、練習であってもすごく注目されるじゃないですか。いいところを見せなくちゃいけないって思いが強くなってしまったんです」
完全にひとり相撲だった。学生時代に人がうらやむような実績を積み上げていても、環境の変化に適応できず、知らず知らずのうちに自分自身を追い込んでしまっていた。1年目の2022年シーズン、徳山はイースタンリーグで17試合に登板し2勝6敗、防御率3.49という成績だった。明らかにおかしいと感じられるのは四死球を49個も出したことだ。速球に加え、制球力の良さが徳山の持ち味のはずだった。
「学生時代には出さなかったフォアボールを連発して、どうしてなんだろうって。フォアボールを出さないようにしなきゃと考えるようになって、余計悪循環になってしまって」
イップスを否定し続けた1年目
原因不明の乱れる制球。自分はもしかしたらイップスなのではないか――ふと頭によぎることもあったが、自分の中でそれを全力で否定した。プロ生活は始まったばかり、仮にそうだとしたら自分の未来はどうなってしまうのか。認めてしまえば絶望と恐怖に支配されてしまう。プロのアスリートとして拒絶するのは当たり前の心理だった。
だが、認めざるを得ない時がやってくる。明けて2023年1月、大学の先輩である和田毅(ソフトバンク)の自主トレに参加した徳山だったが、ピッチングをしてみると、ボールが意図しないところに飛んでいった。ガッシャン、ガッシャンとボールがネットに当たる音が何度も耳にこだました。
「マウンドに立てば震えるし、投げ方がわからないというか、ここに投げたいと思っても、手が硬直してしまって、ボールが離せなくなってしまったんです」
いま明かされる「明かせなかった本心」
思うようなポイントでリリースできない。徳山は自分がイップスだと、はっきりと悟った。実はこの時期、徳山にインタビューをしていたのだが、2年目のシーズンに向け「一軍で投げられるように頑張ります!」と気丈に答えていた。
「実際は、どん底だったんですよ……」
徳山はそう言うと苦笑した。本心を語れなかったのは、きっと心の重荷になっていたことだろう。
今日はキャッチボールがちゃんとできるかな
春季キャンプに入っても症状は改善されないままだった。
「グラウンドに入る前から、『今日はキャッチボールがちゃんとできるかな』とか、そんなことばかり考えてしまって……。夢にも投げられない自分が出てきたり、ずっとそういったものと戦っていた感じです。このままでは終わってしまうと思ったし、僕の様子を見て、周りの人も終わったなと思っていたんじゃないですかね」
徳山を救った存在
遠くを見つめるように徳山は言った。だが、ここで諦めるわけにはいかない。自分がイップスであることをきちんと認めることによって徳山は次への道を模索することになる。不安と焦燥感に潰されそうになることもあったが、知ることのできない未来に怯えていても、なにも始まらない。
まずしなければいけないのは、自分に向いていた尖った矢印を取り払うメンタルの改善だった。そこで助け舟を出してくれる人物に、徳山は巡り合うことになる。
<つづく>
文=石塚隆
photograph by JIJI PRESS