ソフトボールのエースとしてオリンピック2大会で日本に金メダルをもたらした上野由岐子投手のインタビュー。後編は日本代表への思い、競技の復活が決まった4年後の2028年ロス五輪をどのように捉えているのか語ってもらった。〈全2回の後編/前編から読む〉
――チームには若い選手たちがどんどん入ってきます。長らくやって来て、ご自身の若い頃との違いや時代の変化のようなものを感じますか?
「もちろん時代の変化は感じています。でも、昔の自分と比べても仕方がないと思っているので、違いを比べることはありません。逆に、若い選手と一緒にやることでまだ自分はやれるという刺激をもらったり、もうこれ以上は頑張れないなと思ったり、若い選手とはちょっと違うなと思ったり。いろいろな刺激をもらえていますね」
「まだ負けていない自分」
――これ以上は頑張れないな、というのは、普段のトレーニングで感じることですか?
「そうですね。今も一緒にノックに入ったりしているのですが、同じ時間、同じ量は練習できません。それが怪我に繋がってしまったりするからです。ただ、一緒にやっていて、まだ負けていない自分を感じますし、対等にやれているからこそ、まだいけるのかな、まだ頑張ってもいいのかなと思える気持ちを、チームの若い選手たちにもらえていると思います」
――上野投手と言えばレジェンド中のレジェンドです。20くらい年の離れた若手もいます。若い選手たちとは普段どのように接していますか?
「やはり、若い選手からしてみれば私はベテラン選手です。“上野さんは特別”みたいな空気は必ず出てきますし、それは仕方がないと思っています。ただ、私はなるべく一線を引かれないように気をつけて、声を掛けるようにしています」
――ご自身の方からアクションを起こすことが多い。
「新人選手や若い選手にしょっちゅう声を掛けるということはないですが、選手としての立場は対等であっていいと私は思っているんです。上手に距離を保ちながら、でも距離が広がりすぎないように意識しています」
2028年ロス五輪へ
――オリンピックのことについてお伺いしたいと思います。パリ五輪では実施されませんが、4年後の28年ロサンゼルス五輪での復活が決まっています。当然ながら金メダルの期待は大きいと思います。
「4年間はあっという間だと思うので、しっかり焦っていかなきゃいけないと思います。東京五輪で勝ったから次も勝てるという保証はどこにもありません。勝つための準備をしていかなければいけないですし、そのための時間は足りないのではないかと私は思っているんです。だから、若い選手たちにしっかり伝えていかなきゃいけないと思うし、背中も押していかなきゃいけない。いろんな形で尽力していきたいという気持ちがあります」
――今年3月に沖縄で行われた日本代表合宿は、上野投手が不参加だったほか、21年東京五輪の金メダルメンバーで残っているのは2人だけ(後藤希友投手、川畑瞳内野手)でした。若返ったメンバーたちはプレッシャーも感じていると思いますが、どのようにご覧になっていますか?
「私たちは選手なのでやっぱり結果を出してナンボなんです。結果がものを言うし、結果が評価そのものです。こんなに頑張ってきた、こんなに意識してやってきた、こんなに努力してきた、と言っても、結果が出なければ“ゼロ”なんですよ。でも反対に、やらなくても結果を出せば“こいつ凄い”なんです。もちろん過程は大事ですが、選手である以上、結果がすべて。そういった意味ではまだ今の若い選手たちには結果が足りない。イコール経験も足りません」
――上野投手だからこそ言える、厳しくも熱い言葉ですね。
「意気込みや思いはいくらでも込められるというか、伝えられるというか、嘘でも言えるんですよ。私たちが求められているものは言葉じゃなくて結果。一生懸命頑張っているのはみんな分かっているし、頑張っているのはみんな同じ。結果が出る出ない、があるだけなんです。若い選手たちには、結果が出るから評価されているだけなのだというところを、履き違えないように頑張ってほしいと思います」
若い選手たちへの思い
――こういう思いが次代の選手たちに伝わっていけば、4年間という時間をより有効に使えるようになるのでしょうね。
「時間は限られていますが、1分1秒をどう無駄なく過ごせるかというのは、どれだけ思いが強いかということにも繋がってきます。いつか投げられるようになりたいとか、いつか打てるようになりたいという思いだけで出来るようになるなら、全員がとっくに良い選手になっていると思うんですよ。そうじゃないから、勝つことが難しかったり、負けて何かを学んだりする。1分1秒を惜しんで、数センチ数ミリでもいいから日々成長してほしいです」
――上野投手ご自身としては、この先の4年間をどのように考えていますか?
「自分が結果を出すためだけにユニフォームを着るのではなく、選手生活が終わった後の道も、考えていないわけではありません。私自身、選手としてこんなに長くやれると思っていませんでした。ただ、長くやればやるほど、選手でやれることのありがたさや、また違った感情もどんどん生まれてきて、指導者になるということも考えていないわけではないです」
――45歳で迎える28年ロス五輪をどのような立場で迎えるかということにも考えを巡らせているということですね。
「オリンピックに関しては、私の中で選択肢が色々あると思っています。選手という形で行くのか、指導者という形で行くのか、私にとっては未知というか、逆にどういう風に迎えるんだろうなっていう感覚です。ロス五輪を選手で迎えられたら最高だけど、私の体はまだ持つのだろうかとか、逆に指導者として行くのもやりがいがあるんじゃないのかとか、もしかしたらテレビで応援している立場になっているのか。今の自分には想像つかないですね」
未来の「指導者」として
――楽しみが広がっているような感覚でしょうか。
「色々な道を選べるように、自分もしっかり準備をしなければいけません。選択肢を持つには準備がすごく大事。選手としてやれるならその準備をしなければいけないし、指導者としてやるのだったらそのために今から準備していく必要があります。今は、どちらの立場でも関われるように準備をしたいと思っています」
――指導者を現実的な選択肢として考えているということは初めてお聞きしたように思います。
「でも、もしかしたら全く関わらないという選択肢も現実的にはゼロではないと思います。どの道にも転べるように準備をしておきたいですし、その選択肢は神様が誘導してくれるのかなという感覚です。神様が“選手の立場でもっと頑張れ”と言ってくれるのだったら、私の体もその年まで持つでしょうし、“お前はこっちの世界に行け”と言われた時には、体が持たなかったり燃え尽きてしまっていたりして、違う形でオリンピックを迎えるかもしれません。そういうことも、気持ちの中ではしっかり準備しておきたいですね」
――指導者としての準備という意味では、監督目線でソフトボールを見るようになっているのですか?
「もちろんです。宇津木麗華監督が全日本でどういう采配を振っているのか、なぜこの選手を選んだのかということも、自分自身の中で考えられるように意識しています」
「神様がまだやめるなと」
――21年に行われた東京五輪の後、いわゆる引退ということも考えたことはあるのでしょうか?
「そうですね。投げることのできなかった22年の1年間がなければ多分やめていたと思います。あの1年があったので、自分の感情が180度変わりました。神様がまだやめるなって言ってくれたんだな、と私の中では受け止めています。投げられない時間があったからこそ、見えていなかった景色が見えてきたのだと思います」
――ソフトボールへの関わり方についての考えが広がっているということですね。
「どういう形でもソフトボールに恩返しをしなければいけないとは思っています。そういった意味では年齢的にも幅広いものが見えるようになって、心にも余裕が持てるようになってきているので、色々な道を自分で選択できるように準備だけはちゃんとしておきたいなと思っています」 〈前編も公開中です〉
文=矢内由美子
photograph by Takuya Sugiyama