5月6日、横浜スタジアムで出た劇的な筒香嘉智の逆転3ランは、大谷翔平の本塁打を想起させる打球速度の速い本塁打だった。

 前の打席に放ったレフトフェンス直撃の二塁打もそうだったが――筒香のスイングは明らかに速くなっていた。アメリカの地では結果を残すことができなかった筒香だが、スラッガーとして進化を遂げて日本に帰ってきたのだ。

マッシー村上に新庄…復帰戦でどんなプレー?

 MLBでキャリアを積んだのち、NPBに復帰した選手は、復帰戦でどんなプレーを見せたのか、球史を紐解いてみた。

 ★村上雅則(南海) 1966年4月12日、後楽園球場 東映戦

 南海に入団2年目の1964年に野球留学でMLBジャイアンツ傘下のフレズノに派遣された左腕村上は、クローザーとして活躍し9月にメジャー昇格、好投し、翌年はジャイアンツの救援投手として活躍。8セーブを挙げる。

 南海とジャイアンツの間で村上の保有権をめぐるやり取りがあったが、翌年、南海に復帰。開幕3戦目の東映戦の7回に、先発の林俊彦に次ぐ2番手として登板、延長10回まで無失点に抑え、勝利投手に。捕手は野村克也。

 MLBでは5勝9セーブを挙げていたが、NPBでは初勝利。以後、村上は先発、救援で活躍。1975年には阪神、翌年には日本ハムに移籍し、20年の現役生活で103勝82敗30セーブを挙げた。

 ★新庄剛志(日本ハム) 2004年3月27日 大阪ドーム 近鉄戦

 阪神のスターとして活躍した新庄は2001年FA宣言を経てメッツに移籍。この年、ポスティングでマリナーズに移籍したイチローとともに、野手として初めてMLB挑戦。翌年ジャイアンツに移籍してバリー・ボンズのチームメイトとなり、日本人として初めてワールドシリーズに出場。2003年再びメッツに戻り、このオフに退団し日本復帰。

 この年から北海道に移転した日本ハムに入団。開幕戦の近鉄戦は「SHINJO」という登録名、2番センターで先発。満員の観客が詰めかける中、1回、先頭の坪井智哉が二塁打で出塁するとバントで三塁に走者を進める。この日は2安打の活躍。

 この年日本ハムは3位に終わったが、SHINJOは打率.298(16位)でベストナインとゴールデングラブを獲得。若い選手が多い日本ハムのリーダーとなったが、2006年に引退した。

日米でクローザーを経験した佐々木と高津は?

 ★佐々木主浩(横浜) 2004年4月6日 横浜スタジアム 阪神戦

「ハマの大魔神」と呼ばれ絶対的なクローザーだった佐々木は2000年FA権を行使してマリナーズに。MLBでもクローザーとして活躍し、2001年はこの年入団したイチローとともにリーグ優勝に貢献。2004年に36歳で横浜に復帰した。

 開幕4戦目の阪神戦の9回に登板、赤星憲広を中飛、キンケードを遊ゴロ、金本知憲を右飛とわずか9球で打ち取り1999年以来5年ぶりに日本球界でセーブを挙げる。この年19セーブを挙げたが、翌年限りで引退した。

 ★高津臣吾(ヤクルト) 2006年4月1日 神宮球場 阪神戦

 ヤクルトの絶対的なクローザーとして4度の最多セーブを記録。FA権を行使して2004年、ホワイトソックスに移籍。当初は中継ぎだったが、6月からクローザーになり19セーブ。しかし2005年は不振となりシーズン中にメッツに移籍するもオフに退団し、2006年に復帰。

 開幕2戦目の阪神戦、3対3の同点の9回、高井雄平が四球を出して降板したあとにマウンドに上がり、わずか2球でアンディ・シーツを三ゴロ併殺に仕留める。裏にヤクルトがサヨナラ勝ちしたので高津に勝ち星が転がり込んだ。この年13セーブ。しかし翌年限りで退団し。韓国プロ野球(KBO)、米マイナー、台湾プロ野球(CPBL)、独立リーグ新潟などを経て指導者となり、今はヤクルトの監督。

井口、松井稼、岩村は日本復帰→監督や社長に

 ★井口資仁(ロッテ) 2009年4月3日 千葉マリンスタジアム 西武戦

 ダイエーの俊足強打の内野手として盗塁王2回、ベストナイン3回、2004年オフに自由契約となりホワイトソックスに入団。攻守に活躍する。フィリーズ、パドレス、フィリーズと移籍して2009年にロッテに復帰。

 開幕の西武戦に4番二塁でスタメン出場。3回、二死一・二塁で涌井秀章から左翼線に2点二塁打。以後、外様ながらロッテ野手のリーダー的存在になる。ダイエーでは8年860安打、ロッテでは9年900安打を記録。引退後はロッテの監督となり、2022年まで采配を振るった。

 ★松井稼頭央、岩村明憲(ともに楽天) 2011年4月12日 QVCマリンフィールド ロッテ戦

 西武でリードオフマン、中軸打者として活躍した松井は、2004年海外FA権を行使してメッツに入団。規定打席に達したのは2年だけだが、ロッキーズ、アストロズと3球団でプレーし、通算615安打。2010年オフに楽天に入団が決まった。

 ヤクルトの中軸打者として活躍した岩村は2007年ポスティングシステムでタンパベイ・デビルレイズに移籍。若い選手が多い新興球団で、チームリーダーとして活躍。しかし2010年にパイレーツに移籍したころから打撃不振に陥りアスレチックスを経て2011年に楽天に入団する。

 東日本大震災で開幕が遅れる中、松井と岩村は4月12日の開幕戦に出場。1番遊撃の松井は3打数1安打、6番三塁の岩村は4打数2安打だった。

 しかし松井がこの年最多二塁打を獲得するなど活躍したのに対して、岩村は打率.183に終わる。松井は2018年に古巣・西武に戻って引退。引退後はコーチを経て2023年から監督。岩村も古巣ヤクルトに戻り、退団後は独立リーグ福島で社長を務めている。

カープ黒田は2740日ぶりのNPB勝利

 ★黒田博樹(広島) 2015年3月29日 マツダスタジアム ヤクルト戦

 広島で103勝を挙げたエースの黒田は、2008年、FA権を行使してドジャースに移籍。1年目から先発投手として安定感ある投球を続け、2012年にヤンキースに移籍。ドジャース時代から5年連続二けた勝利を挙げるが、FA年限に際してヤンキースなどのオファーを受けず、当時の年俸の数分の1を提示した広島に復帰。

 開幕3試合目の本拠地でのヤクルト戦、超満員3万1540人の大歓声の中マウンドに上がる。先頭の山田哲人を三ゴロに打ち取り、順調な滑り出し。7回96球5被安打5奪三振で零封し、2740日ぶりの勝利。この年も11勝、翌2016年には日米通算200勝も達成し、この年限りで引退した。

 ★藤川球児(阪神) 2016年3月27日 京セラドーム大阪 中日戦

「JFK」の一人として阪神の勝利の方程式を担った藤川は2012年オフに海外FA権を行使してカブスと契約。

 救援投手としての活躍が期待されたが故障で実力を発揮できず、レンジャーズを経て2015年5月にFAとなる。去就が注目されたが、藤川はNPBではなく故郷高知の独立リーグ、高知ファイティングドッグスに入団、先発投手として投げたのちに、翌年阪神に復帰。

「先発に挑戦したい」と開幕3試合目に先発。先頭の大島洋平を左飛に打ち取るなど順調な滑り出しだったが4回、5回と打線につかまり5回自責点4で降板。勝ち星つかず。1勝したものの5月14日からは救援に戻る。以後、クローザーとして活躍し、2020年「名球会入会資格」とされる日米通算250セーブに「あと5」と迫りながらあっさりと引退した(のち特例で入会)。

今も現役の青木宣親は18年開幕戦でタイムリー

 ★松坂大輔(ソフトバンク)2016年10月2日 Koboスタ宮城 楽天戦

 藤川を含む「松坂世代」のフラッグシップとして活躍し、WBCでも2大会連続でMVPに輝いた松坂は2006年11月、ポスティングシステムでレッドソックスに移籍。移籍元の西武には5111万ドルもの移籍金が支払われた。

 1年目は15勝、2年目は18勝と活躍したが、次第に成績が低下。2011年にはトミー・ジョン手術を受ける。インディアンス傘下、メッツを経て2015年にソフトバンクに入団。しかしこの年は右肩の故障のため投げることができず、2016年の最終戦の8回に登板したが、3被安打2与四球2与死球で自責点5、往時の姿はなかった。その後、中日を経て最後は古巣の西武に戻って2021年に引退した。

 ★青木宣親(ヤクルト)2018年3月30日 横浜スタジアム 横浜戦

 NPB史上初めて2度の「シーズン200本安打」、首位打者3回を記録した青木は、2012年ポスティングシステムでブルワーズに移籍。打率3割はマークできなかったが、毎年のように.280以上を記録し、ロイヤルズ、ジャイアンツ、マリナーズ、アストロズ、ブルージェイズ、メッツと移籍を重ね、2018年にヤクルトに復帰。この年2月の沖縄県浦添市のキャンプでは「アラボーイ!」と元気に叫ぶ姿が見られた。

 3月30日の開幕戦では、4番中堅で出場し、8回にタイムリーヒットを打つ。すでに36歳だったがこのシーズンの打率.327をマーク。40歳を超えた今年も現役としてチームを引っ張っている。

田中将大の復帰はコロナ禍だったゆえ…

 ★田中将大(楽天)2021年4月17日 東京ドーム 日本ハム戦

 2013年空前の24勝0敗という成績を残し楽天を初優勝に導いた田中は、このオフにポスティングシステムでヤンキースに移籍。2014年は先輩の黒田博樹とともに二けた勝利を記録、イチローもチームメイトだった。以後、6年連続で二けた勝利。コロナ禍の2020年もローテを維持したが、オフにFAとなり楽天復帰が決まる。

 コロナ禍で入場が規制された東京ドームの観客は9985人。立ち上がり2死を取ってから近藤健介を歩かせ、中田翔に左中間へ本塁打を打たれる。5回を投げて自責点3で負け投手。しかしそれ以降はローテを維持、援護に恵まれない中4勝。以後も先発として活躍。日米通算で197勝となっているが、今季はまだ登板がない。

 こうしてみると、復帰した試合で多くの選手はそれなりに存在感を示している。しかしハマスタが熱狂に包まれたように――今回の筒香のような派手な「復帰劇」をした選手はこれまでいなかった。

 筒香嘉智はまだ32歳であり、選手として、もうひと働きできるはずだ。また野球指導に一家言のある筒香には、指導者としても期待したい。

文=広尾晃

photograph by JIJI PRESS