現役引退を決めた元日本代表MF長谷部誠。00年代後半からドイツで取材を続けた日本人ライターが見た、フランクフルトでの円熟期。のちにドイツメディアから絶賛されることになるリベロ転向の“裏話”とは。(NumberWeb引退記念ノンフィクション/第6回も)
長谷部誠がドイツで出会った指揮官について振り返るとき、多くの人の頭にはフェリックス・マガトの名前が思い浮かぶかもしれない。
しかし、マガト以上の影響を与えたと言える指揮官がいることを見落としてはならない。フランクフルトでの2シーズン目で出会い、2年半をともに戦ったニコ・コバチ監督が長谷部をサッカー選手として大成させてくれた恩人である。
一度だけCBを…監督は何を考えていたんだろう
マガトはボルフスブルク時代の長谷部を人間的に成長させてくれたかもしれない(ただ彼の厳しさは現代ではパワハラに該当するレベルだが)。そんなマガトに負けず劣らず、コバチは厳格な指揮官だった。食事の管理や練習前後の身体のケアを徹底させた。健康上の理由から、選手には新たなタトゥーを入れることを禁じていたほどだ。
ただし、マガトとは比較できないくらい、コバチは長谷部のことを高く評価していた。
例えば、2015-16シーズンの入れ替え戦で1部残留が決まった直後。コバチは、人事権の責任者であるGMに話を通すことなく、長谷部に声をかけている。
「来シーズンも、必ずフランクフルトに残れよ!」
彼に出会わなかったら、その後の長谷部はいなかっただろう――。
「プレシーズンで一度だけ、センターバックをやらされたんだけど、コバチ監督は一体何を考えていたんだろう」
2016年夏、長谷部が何気なく口にした。8年近く住んだドイツの家を引き払って筆者が日本へ帰るタイミングに、お別れとして食事に招いてくれた時のことだ。その起用の意味には長谷部ですら気づいていなかった。
あれが長谷部の進化論の伏線となることなどコバチ以外に想像できた人はいないだろう。
初めてのリベロ時、長谷部の語り口は冷静だった
転機は、この年の10月28日。ボルシアMGとのアウェーゲームだった。この頃にはすっかりボランチの選手として認識されていた長谷部が、3バックの真ん中、リベロのポジションを任されたのだ。
筆者はちょうど日本からドイツへの出張中で、この試合を取材していた。
3バックの中央に入って攻撃では起点となり、守備では最終ラインをコントロールする姿にはまだ違和感があった。ドイツでセンターバックに入るのは190cmほどある屈強な選手がほとんどだからだ。
大きな変化だったが、試合後の長谷部は新たなポジションについて、冷静に振り返っていた。
「3バックの真ん中ということで、センタリングに対してのマークの付き方はけっこう気にしています。個人的にはどうしても、ボールを見て、スペースを守ってしまうので。守備の鉄則としては相手を見ること。そこの部分は自分が強く意識していかなければいけないところかなと思います」
冷静に語った“もう1つの理由”とは
冷静だったのには、もう1つ、こんな理由があった。
「あまり後ろのポジションに慣れたくないなという感覚は正直あります。チームが勝つことが一番大事だと思うので監督の判断は受け入れながらも、虎視眈々と中盤のポジションは狙っていきたいと思いますね。まあ、中盤のほうが面白いという感覚も……」
このときはまだ、中盤でプレーしたいという想いが強かった。ボルフスブルク編やニュルンベルク編で記した通り、リスクを冒して、勝ち取ってきたポジションなのだから当然だろう。
もっとも、この日を境に完全にリベロの選手にコンバートされたというわけではない。長谷部のポジションを変えることで、チームとしての戦い方を変化させることがコバチの狙いだった。
監督が運用していたのは「長谷部システム」だったのだ。
相手が2トップの場合は3人のセンターバックを配して、長谷部が真ん中でリベロを務める。相手が1トップなら4バック(2センターバック)にして、長谷部はボランチに入る。相手の前線中央に構える選手の人数よりも、自分たちのセンターバックを1人多くしたいとコバチは考えていた。ただし例外的にバイエルン、ドルトムント、ライプツィヒなど攻撃力があるチームには、3バックを採用しつつ、その前に長谷部を配して守備を厚くした。
相手に良さを出させないことを重視するコバチにとって、フォーメーションなど変化をつけるために欠かせない選手が、長谷部だったのだ。
リベロで見た景色、ボランチでも「また良くなっている」
リベロを任された当初は慎重な姿勢を崩さなかった長谷部だが、このポジションで長くプレーしていくことで感覚は変わっていった。
「自分がリベロをやったことで見えた景色があって。その後にボランチをやると『自分はまた良くなっているな』という感覚がありました」
例えば、長谷部が日本代表として最後に戦ったロシアW杯。相手がハイプレスをかけてきたセネガル戦などは、リベロを経験した恩恵を受けたと言えるだろう。
あの試合はビルドアップの入口を長谷部が、出口を乾貴士が作ることで、相手のプレスを回避した。
2−2の打ち合いとなったためゴールシーンばかりが話題になったが、以前の日本であれば、強度のハイプレスにやられていた可能性がある。長谷部の進化を感じられる場面だった。
任されたPKキッカーと、鎌田とのエピソード
余談だが、長谷部はコバチが指揮していた2016-17シーズンにはPKのキッカーも任された。しかも、2シーズン前にブンデスリーガの得点王に輝いたマイヤーを押しのけてのものだ。
実際、第19節のダルムシュタットとのダービーではプレッシャーのかかる状況で、PKをしっかりと決めてみせた。
コバチ監督が、ドイツに渡ってから戦術面で長谷部をもっとも評価したのは間違いない。ただ、コバチは長谷部のメンタリティについても最高級の評価を与えていた。でなければ、元得点王で「サッカーの神様」とも称されたマイヤーに代わるPKキッカーを任せるはずはないのだから。
2022-23シーズン、フランクフルトで鎌田大地がPKキッカーを任されたことは大きな話題になった。あるいは、2021-22シーズンのEL決勝のPK戦でグラスナー監督が「3番手のキッカーは大地か長谷部に任せたい」といった時に、鎌田が手を挙げ、PKを決めたエピソードは有名だ。試合後に長谷部が鎌田に向かって「お前が蹴ってくれてよかった」と伝えたことも有名だ。
ただ、鎌田よりも前にフランクフルトで長谷部が重責を担っていたのは、歴史に埋もれてしまいそうだが――決して見落としてはいけない事実だ。
なぜ、長谷部が試合に出るとチームが安定するのか?
では、コバチ監督にそこまで高く評価されたのは何故だったのだろうか。
その答えは、吉田麻也のような現役選手から、長谷部の出場する試合を解説する日本代表OBの間でも、ずっと語られてきたテーマとつながる。
「なぜ、長谷部が試合に出るとチームが安定するのか?」
長谷部の特長は速く走れることでも、高く跳べることでも、たくさんゴールを取ることでもない。
長谷部の最大の長所は、「監督の意図と期待に応える能力」なのではないだろうか。
レベルの高低こそあれ、どんな監督もチームが機能しているところを頭に思い描いて戦術や戦略を練り、それを実現させるためにベストだと思える選手を起用する。相手に合わせ、長谷部の役割やポジションを変えることで、戦い方に変化を加えることにしたのは、「長谷部は自身の求めるサッカーを表現してくれる適任者だ」とコバチ監督が考えたから。
つまり、長谷部の本当の長所とは何なのかを私たちに言語化して、理解させてくれた偉大なる指揮官と言えるのかもしれない――。
リベロへのコンバートで“最低でも5年”は…
スカパー!で再配信・再放送中の番組『ブンデスリーガアーカイブス 長谷部誠 フランクフルト編』でのインタビュー時、長谷部にコバチとの出会いについて筆者はこんなことを尋ねた。
「コバチ監督と出会って、キャリアが延びた感覚はありますか?」
長谷部の答えは驚くものだった。
「彼が自分をあそこの位置で使ってくれたことで、僕のキャリアを“最低でも5年”くらいは延ばしてくれたかなと。リベロへのコンバートがなかったら、全然違うキャリアになっていたと思います」
そして、大団円は2018年W杯直前のドイツ杯決勝だった。コバチは翌シーズンからバイエルンの監督になることが決まっていたが、決勝の相手がそのバイエルンだった。
「99%の人はバイエルンが勝つと思っていました。でも、自分はそのなかで重要な役割を果たせました」
長谷部がそう振り返る試合で、フランクフルトは3-1で頂点に立った。30年前にドイツ杯を制覇してからタイトルから遠ざかっていただけに、クラブだけではなく、街全体がこの優勝に沸いた。長谷部自身にとってもクラブレベルで9年ぶりとなるタイトルで、喜びを隠そうともしなかった。
やっていても楽しい感覚が本当にあるんですよ
「ドイツへ渡ってから1、2を争うような良いシーズンだったと思いますね。個人的にも年齢を重ねたことによる経験からくるもの……自分がいることで様々なバリエーションをチームに与えられたと思うので。そういう意味で、自分の存在意義をチームの中で見いだせた部分もありますし。スプリント力とか、そういうものは落ちているのかもしれないですけど、そうではないところで勝負できているので。やっていても楽しい感覚が本当にあるんですよ」
多くの選手が衰退期に入る33歳という年齢で、長谷部は自身の新たな役割を見出してくれるような指揮官と出会った。
では、そのような運命をたぐりよせられたのは何故なのだろうか。
明確な答えは存在しないかもしれない。ただ、その理由はニュルンベルク時代の最後のエピソードが象徴しているように、人との縁や恩義を長谷部が大事にしてきたから。中田英寿にも“ある相談”をするなど――30代後半以降もプレーヤーとして円熟していく彼の姿とともに、そう思わずにはいられない。
<つづく>
文=ミムラユウスケ
photograph by Jan Huebner-Pool/Getty Images