日本人の死因の第1位に挙げられるがん(正確には悪性新生物と言ってがんの他に肉腫も含まれる)。男女別・部位別に見ると、男性が肺、大腸、胃、すい臓、女性が大腸、肺、すい臓、乳房の順で死亡数が多い。この女性の乳がんに関して、知識を深め、検診の重要性を啓蒙することを目的とした活動がピンクリボン運動。この運動が盛んな欧米に比較して、日本ではまだまだ認知が進んでいないと言われている。妻を乳がんで亡くしたことをきっかけに、ピンクリボン運動を15年以上続けているのが、プロ野球福岡ソフトバンクホークスなどで活躍した鳥越裕介氏だ。鳥越氏に、ピンクリボン運動にかける思いについてうかがった。
※アイキャッチは2023年度のピンクリボン活動の写真

周囲に支えられ、自分でもできることがあるという気持ちに

写真提供:株式会社wiAth

鳥越氏が妻の万美子さんを乳がんで亡くしたのは、2008年。福岡ソフトバンクホークスの二軍のコーチをしていた時期だった。最愛の妻を亡くし、家にひとりでいるとしんどさを感じてとてもつらかったのだという。

「精神的にとても不安定でしたね。でも、球場に行けば選手や同僚といった仲間がいるし、野球を見に来てくれるお客様がいます。みんなに助けられました。日常に戻してもらえたのは、そういう方々のありがたみを感じたから。自分にも何かできことがあるんじゃないかという気持ちに自然になっていったんです」(鳥越氏、以下同)

当初は、悲しみに暮れていたが、球団の方々とさまざまな話をするなかでピンクリボン運動について調べるようになり、プロ野球というスポーツに携わっている人間として、少しは自分にも発信力があるのではないかと思い、乳がんは早期発見・早期治療で生存率が非常に変わるということを、ひとりでも多くの人に伝えるべく動き出したのだそう。

ピンクリボン運動は、1980年代のアメリカで始まった運動だ。乳がんについての知識、検診の重要性について広く知ってもらうことによって、乳がんの罹患者・死亡者が減るようにという願いが運動を象徴するピンクのリボンには込められている。と言うのも、乳がんは罹患数が多いものの早期に発見し治療を行えば5年生存率が他のガンより高いとされ、検診の重要性が他のガンに比べて格段に大きいからだ。

「球場でたくさんのお客様の姿を見て、これぐらい人が集まる場所があるんだから、ここで何か発信することができたら、乳がんについての知識を広めることができるのではないか。精神的につらいとき、周りの人に助けてもらったので、自分も何かできることでお返しをしたい、そのように考えるようになりました」

ピンクに染まる野球場が、乳がんについての発信の場に

2023年度のピンクリボン活動の写真 ©︎SoftBank HAWKS
2023年度のピンクリボン活動の写真 ©︎SoftBank HAWKS

ピンクリボン運動が生まれたアメリカを始め欧州などでは啓蒙が進み、乳がんによる死亡率はずいぶん低下しているそうだが、日本ではまだまだの感がある。そんな中、ピンクリボン運動を続けている鳥越氏は日本の現状をどう見ているのだろうか。

「私が運動を始めた当初は、世の中にこんなにがんの人がいるんだ、中でも乳がんはこんなに多いんだということにずいぶん驚かされましたね。そんな中で、あくまでも私の周囲の話になりますが、15年前より少しは変わってきているのではないかと思います。女性はもちろんのこと、男性の方の意識も少しずつ変化しているのではないでしょうか」

ピンクリボン運動の重要性に気づかされた鳥越氏は、仲の良い球団の人と共に活動を始めた。球団では2006年より女性の集客増を目的に、女子高校生限定でピンク色のユニフォームを販売するなどのサービスを行う「女子高生デー」を始め、2014年からは世代を問わずすべての女性が対象に広がり、20年からは性別を問わずピンクのユニフォームを無料で配るようになった。このイベントの間選手が使うヘルメットのチームロゴの横には、ピンクリボンのマークがあしらわれている。イベントは女性の集客を多くするためではあるが、乳がんに関するリーフレットを配り、ドームの外には検診車を用意し、来てくれた女性はもちろん男性にも乳がんについて知ってもらうことも狙っている。

「球団の方にはいろいろ調べてもらい、背中を押してもらいました。最初はなかなか手応えがありませんでしたが、年を重ねていくにつれて仲間も増えていき、こんなことができるんじゃないか、こういうこともあるというように盛り上がっていって、今のような野球界の中でも結構大きなイベントに成長することができました」

ある女性ファンは、このイベントに出席したのをきっかけに検診を受けたところ、早期発見できて命が助かったと鳥越氏に語ったそうだ。

「それは活動を始めて10年ぐらい経ったときだったと思います。私が球団とピンクリボン運動を開始したのは、私たち夫婦のような経験をする人を1人でも1組でも減らせたら、という強い想いがありました。自分たちがこの活動をすることで、女性の野球ファンの方に“気づいてほしいこと”を発信できたり、男性のファンの方にも“乳がんという病気を知ってもらうきっかけ”になったりしたらいいなと思っていたので、そういう方がひとりでもいてよかったと、うれしかったですね」

野球を通じて得られた横の繋がりを発信に活かす

写真提供:株式会社wiAth

欧米と比較して、日本ではなかなか乳がんに関する啓蒙が進まず、検診率があまり上がらないのはいったいなぜなのだろうか。

「乳がんは主に女性の病気で、みなさんどこか他人事で自分は関係ないと思っているのが大きいと思います。そして、ピンクリボン運動のような活動が少ないですね。ですから、ソフトバンクホークスのピンクフルデーのようなイベントに足を運んでいただくことが大事だと思っています。今年は3日間ありますが、1日に集まる方が2万5000人から3万人。3日で8〜9万の方が集まってくださいます。テレビで見る方も含めればかなりの数になる。みなさんが家族で、あるいは友達や恋人とでも乳がんについて話すきっかけや、検診に行ってみようという気持ちになってくれれば。そういう想いで活動しています」

鳥越氏は野球選手を引退後、ソフトバンクホークスで二軍コーチ、監督と歴任し、2018年からは千葉ロッテマリーンズのコーチに就任。ソフトバンクを離れるに当たって、ピンクリボン運動を中村晃選手に引き継いだ。また、コーチをしたロッテでも、ピンクリボン運動の活動は行われている。

「こうした活動に、私のアスリートとしての能力が活かされているかどうかはわかりませんが、チームメイトはもちろん所属している球団、他球団との横の繋がりなど、野球を通じて得られた人との繋がりは大きいと思います」

鳥越氏は、ソフトバンクホークスで二軍監督をしていた頃、入団してくる新人選手とともにやってきた親御さんと顔を合わせたとき、並ならぬ緊張感を覚えたそうだ。

「当時私は37歳ぐらいで、高校を卒業したばかりの新人選手の親御さんはだいたい4、5歳年上です。“うちの息子をどうぞよろしくお願いします”と頭を下げられて、“この子の人生を預かるんだから、これは大変なことだぞ”と責任感が芽生えました。野球というものに答えはありませんし、完成形もない。非常に難しいものなんですけれども、選手にはたくさん教えていただきました。私は子どもがいないですが、野球選手の指導は子育てと似ているところがあるのではないかと思います。ミルク一つでも欲しくないときに与えてもしょうがないし、いらないといっても必要なときには与えなければいけない。日々気づきなんです。妻のことはもちろん一番大きいですが、そういった指導者としての経験も、私を変えてくれたと思っています」

そんな今、鳥越氏が訴えたいことは乳がんは早期発見・早期治療で助かる病気だということ。

「男女問わず、自分の周りの方と半年に1回でもいいですから、乳がんのことを話して、検診に行ってほしいと思います。たとえば世のお母さん方は、家族のことを考え自分を後回しにしがちです。でも、お母さんが健康でいなければ家族も元気に過ごせませんから、しっかり検診してほしいですね。家族、夫婦、友人、恋人がお互いに相手に思いやりをもって思い合うこと。それが一番ではないでしょうか」

鳥越氏は、現在は福岡ソフトバンクホークスのピンクリボン運動のみならず保険会社や地域密着の団体・企業からの依頼で講演も行っているが、目下の夢はNPB(日本プロ野球機構)に所属する北は北海道、南は福岡の12球団で一斉にピンクリボン運動をすることだという。ぜひ、鳥越氏の横の繋がりの強さでそれを実現していただきたいと思った。

text by Reiko Sadaie(Parasapo Lab)
写真提供:株式会社wiAth、SoftBank HAWKS