“シャドーロールの怪物”ナリタブライアンの突然の出走に競馬ファンが驚いた「高松宮杯」の舞台裏をサンケイスポーツの競馬担当だった鈴木学氏が主戦騎手・南井克巳に聞いた。現役時代から現在に至るまで周囲への感謝の気持ちを忘れない南井克巳だが、ナリタブライアンの高松宮杯出走だけは愛馬への同情を抑えきれないようだ。

『史上最強の三冠馬ナリタブライアン』(ワニブックス)より、一部抜粋・再構成してお届けする。

当時、謎を残したナリタブライアンの高松宮杯レース模様

賛否両論が渦巻いた高松宮杯の当日、僕は競馬場にいなかった。その日は休みをもらって高校時代の友人の結婚式に出席していた。レースは披露宴に出席している時に行われたので、テレビの生中継すら見ることができなかった。

あとで4着に敗れたと知った時の感想は「やっぱり」で驚きはなかった。事実、サンケイスポーツで発表した予想で、僕はナリタブライアンを無印にしていたからだ。

その後、録画していたビデオでレースを見た。

スリーコースが逃げ、フラワーパークが2番手につけてレースは進む。ナリタブライアンは抜群のスタートを切ったもののスプリンターの猛者たちのダッシュ力に敵わず後方から4番手の位置で競馬をすることになった。ただ、流れには乗っているようで、武豊は無理に押して前につけようとはしていない。

だが、勝負どころでも前との差はまったく縮まらない。ペースが上がってからの武豊の手は動きっぱなしとなった。3、4コーナーの中間点で先頭に立ったフラワーパークは馬なり。鞍上にいる田原成貴の手はまったく動いていない。直線に入ってようやく追い出されたフラワーパークは、力強い脚取りで後続を突き放していく。

一方、ナリタブライアンは? 外を回したら絶対に届かないと判断したのか、内を通って直線を向くと、そのまま馬群の間を割って脚を伸ばしてきた。だが、時すでに遅し。フラワーパークの脚いろはそれ以上だった。先頭との差はまるで詰まることなく、ナリタブライアンは4着でゴール板を駆け抜けた。

ナリタブライアンの前半600メートルの通過タイムは34秒0。スプリント戦で求められる前半34秒5を切るダッシュ力は見せたが、ラスト600メートルのタイムは、2着のビコーペガサスと同じ34秒2。長距離戦で繰り出してきた33秒台の瞬発力を見せることはできなかった。息の入らないスプリント戦だけに後半の瞬発力につながらなかったといえる。

勝ったフラワーパークは、4コーナーで先頭に立ちながらメンバー最速の末脚(34秒1)を使った。前半で自身の持つ卓越したスピードを生かして先行し、後半もスピードを持続させる。まさに短距離のスペシャリストの勝ち方の見本を見せつけた。これではさすがのナリタブライアンも勝てない。

「今日は力を出し切れませんでした」

レース直後、武豊はこう振り返った。

「駄目だったですね。周りが言っていたほどついていけないなんてことはなかったけど、好スタートを切れて(道中3番手を進み1番人気で3着だった)ヒシアケボノの後ろくらいにつけられると思ったら、外から一気に来られてしまって……。

枠順のせいにはしたくないけど、内枠で(上位に)来ているのは僕の馬ぐらいですから。今日は力を出し切れませんでした」

外枠からの発走だったら邪魔されずに取りたかった位置でレースを進められたかもしれないが、狙った場所に他馬に入られてしまったのは、ナリタブライアンに速い流れに乗れる脚がなかったからとも言える。

「オールマイティーの馬をつくりたい」と大久保(調教師・大久保正陽)はかつて語っていたが、距離体系が確立し、距離ごとにスペシャリストが幅を利かせるようになった時代にそれを求めるのは酷だった。だが、大久保正陽は、現実から目を背けるようにこう言った。

「残念ではないよ。十分盛り上げたでしょ。らしさを見せてくれたし、納得のいくレースです。展開や位置取りでジョッキーも苦労したんじゃないかな」

「納得のいく」とは、まるで「ここはひと叩き。本番は次回の宝塚記念」と言っているかのようだった。そのように思ったのは僕だけではないだろう。

ナリタブライアンは、このレースで1400万円の賞金を獲得。これで総獲得賞金は10億2691万6000円となり、メジロマックイーンの10億1465万7700円を抜いて国内並びに世界の賞金王となった。

ナリタブライアン主戦騎手だった南井克巳は当時何を思っていたか

南井克巳も、この高松宮杯に騎乗していた。先約のあったエイシンミズリーの手綱を取って最下位13着に終わった。ナリタブライアンの結果を彼はどう見て、どう思っていたのか。2023年秋に振り返ってもらった。

「かわいそうだと思いますよ。値打ちを下げちゃったね。ああいう偉大な馬は、最後までやっぱりちゃんとしなきゃ。最後は肝心ですよ」

──結局は人間が決めることですからね。馬は自分で価値を決められないので

「そう」

──人間が責任を持って馬のために考えてあげないといけない、ということですよね。だから、もし南井さんがナリタブライアンを預かっていたら高松宮杯には……

「使ってないって。こんなことはしない」

──高松宮杯にナリタブライアンが出走すると陣営に聞かされた時は

「『えー!?』と思いましたね」

──南井さんが乗れなかったのは……

「もう武豊で行くようなことを言ってたんじゃないの」

──そうなんですね

「うん」

──それはつまり降ろされた……

「降ろされた。降ろされたと思うよ、完璧に。こんな(レースを)使うんだもの」

南井さんの口から初めて出た告白に疑問が氷解していった。

「南井克巳を降ろすのであれば、手綱を任せられるのは武豊しかいない」

天皇賞(春)で2着に敗れたあと、大久保正陽が南井克巳の騎乗に対して激怒しているという話がどこからともなく流れてきた。

調教師は南井を降ろしたがっているという噂も運ばれてきた。

南井克巳で臨むことになっていた既定路線の宝塚記念で武豊への乗り替わりを選択すれば、南井を降板させたことが明白となる。そう思わせないための奇手が高松宮杯への出走だった。

南井にエイシンミズリーに騎乗するという先約があれば、武豊への騎乗依頼も「お礼返し」で通る。南井の名誉を傷つけることもなく、武豊はもちろんのこと大久保自身も悪者にならず円満に降板、乗り替わりが実現する──と。

大久保正陽は当時から武豊に絶大な信頼を寄せていた。1993年春に大久保を取材した際、23歳の武豊を「彼はベテランだから何も言う必要はない」と話していた。

武豊は当時、その年の桜花賞でベガに騎乗して早くも12個目となるJRAのGⅠタイトルを獲得していたものの、プロになってまだ7年目。若き天才騎手に、57歳の調教師が「ベテラン」と呼んだことに僕は驚いていた。その直後、武豊は大久保の管理馬であるナリタタイシンを駆って皐月賞を制したことで、なるほどと納得したものだ。

「南井克巳を降ろすのであれば、手綱を任せられるのは武豊しかいない」

そんな大久保の思いが、30年近くの時を経て初めて理解できたような気がする。

とはいえ、たった一度の失敗で、それまでナリタブライアンと固い絆で結ばれてきた南井を主戦から降ろすのはいかがなものか。もしかすると大久保は南井について、大怪我をするまえのような騎乗はもう望めないと見切りをつけたのかもしれない。

ただ、そうであったとしても、オグリキャップの時に調教師の瀬戸口勉がしたように、名誉挽回の機会を与えてもよかったのではないだろうか。

「替わるんだったら、この辺で替わっとけばよかったんだよ」

「僕が(天皇賞で)負けたのが悪い」

2023年秋のロングインタビューの際、南井克巳さんはそう言って、自身が復帰するまえのレースを指さした。阪神大賞典まで3戦続けてナリタブライアンの手綱を取った武豊がその後も乗り続けるべきだったと言うように──。

「ここまで来て、ここで替わることもないと思うんだけど」

──そうですよね

「馬(ナリタブライアン)に対してもね、やっぱりここでこんなとこを使ってね。まあ、ファンは楽しみにしていたかわからないけど。でもね。それ(出走するレースの選択)はもう先生の考えだし、オーナーの考えだし。私にはわからないけど。本当に昔からよく知っている方ですし、世話になったし、僕もよく乗せてもらったけど。でも、これだけはちょっと……。やっぱり、そこまでする必要があったのかな、と。僕が(天皇賞で)負けたのが悪いんだけどね」

──そうですか

「うん、それが(ナリタブライアンが高松宮杯に出走した)原因だと思います。僕が負けたのが原因でそうなったから、馬のために申し訳ない。だけど、やっぱり可哀想だよね。こんな強い馬をこういうとこ(高松宮杯)に使ったらね」

──そうですよね

「うん。可哀想だわ、やっぱり」

──結局はそれで……

「うん、終わったでしょ」

──終わっちゃいましたからね

「終わった。可哀想だわ」

ふたりきりの調教スタンドは暫し沈黙が支配した。


文/鈴木学

『史上最強の三冠馬ナリタブライアン』(ワニブックス)

鈴木 学
『史上最強の三冠馬ナリタブライアン』(ワニブックス)
2024/5/26
2,500円(税込)
400ページ
ISBN: 978-4847074448

衝撃の三冠達成から30年――
今でも根強い「最強の三冠馬説」と
謎に包まれた高松宮杯出走まで
〝シャドーロールの怪物〟の真実に迫る!
伝説のジョッキーたちによって
いま初めて明かされる栄光と挫折の舞台裏。

「やっぱりもう少し長く生きてほしかった。それが一番ですね」(南井克巳)
「(ルドルフと)一緒にやって(対戦して)みたかった、という思いが強かった馬だよね」(岡部幸雄)
「負けた側としても非常に嬉しいですよ。後世まで語り継がれるというのは」(田原成貴)
「見てて史上最強馬だと思っていました。好きな馬でしたね」(武豊)

「栄光のあとに降って湧いてきた不運や不幸は、ナリタブライアンのあずかり知らぬ力によって生まれた『闇』に翻弄されたものといえるかもしれない。
その闇のひとつが『人間』であるのは明白だ。2024年はナリタブライアンの三冠達成30周年という節目の年。個人的なことをいえば、私は同年に還暦を迎える。その節目の年に、現場で最も取材した競走馬の一頭であるナリタブライアンの足跡を辿ってみたいと強く思うようになった。その思いを伝えて実現したのが、この日の南井克巳さんへの長時間にわたるインタビュー取材だった」(著者より)