2024年9月2日(月)〜 9月8日(日)に東京・六本木の俳優座劇場にて、『かへり花』が上演されることが決定した。

本作は「ちびっこ広場」に集まる3人の老人と2人の男女の交流を通して、分断された現代の人間を描き出す不条理「喜」劇。

脚本を担当するのは、これまで日澤雄介(劇団チョコレートケーキ)、田村孝裕(ONEOR8)、東憲司(劇団桟敷童子)、中津留章仁(TRASHMASTERRS)ら気鋭の作家をいち早く発見してきたトム・プロジェクトが、30周年の節目に出会った新たな才能・日向十三(演劇企画体ツツガムシ)。

(左から)大和田獏、藤吉久美子、有森也実、中嶋ベン、長野優華

(左から)大和田獏、藤吉久美子、有森也実、中嶋ベン、長野優華

そして日向十三の脚本に惹かれ大和田獏、藤吉久美子、有森也実、中嶋ベンらベテラン実力派俳優と、本作がデビューとなる長野優華ら豪華な出演者が集結した。

演出は2018年、2024年と読売演劇大賞優秀演出家賞を2度受賞し、今年度から調布市せんがわ劇場芸術監督に抜擢されるなど勢いに乗る小笠原響。

「ちびっこ広場」で遊び続ける老人たちと、彼らに出会い数奇な運命を辿る男女の、過去と現在が入り混じる幻想的な祈りの物語。

トム・プロジェクトが満を持しておくる新たな作家の登場に期待しよう。


 
【あらすじ】
さがせば日本のあちこちに、こんなひろばがあるでしょう
ちびっ子ひろば、べろべろばー
そこで出会った爺婆の、小春日和のものがたり
一人は世界をてんてんと、たびする気ままな風来坊
一人は愛する人のため、ピストル片手にホームレス
一人は自分の名も家も、思い出せない尋ね人
三人揃えばかまびすしい そしてずいぶんたくましい
まるで季節を飛び越えて、狂って咲いた花のよう
昔の人はこの花を、かへり花とかよんだとか
それに釣られてまだ若い 男と女が加わって ちびっ子ひろばは、いい感じ
艱難辛苦も なんのその
生老病死も いないないばー

 
演出・小笠原 響 コメント

日向十三さんの『かへり花』と今、出会えましたこと、たいへん嬉しく思っています。そもそも日向さんとご一緒するのも初めてなのですが、そのふわりとした一過の風のようなファンタジックな作風の中に、鋭く現代を切り取る視点が隠されていて…演出の手腕を試される作品です。私たちの今の暮らしを考えたとき、「長生き=幸せ」という観念は少しずつ変化してきたように思います。平均寿命は延び続けても、幸福度はどうでしょう?
核家族化に少子化、認知症、孤独死、格差社会、介護の現状、そこに物価高や国際紛争も加わってきて…「明るい老後」なんか見えてこない! でも、日向さんのふわりとした風が…。そう、少し凍えた心の中に、優しい春の風が吹き込んでくるような、そんな舞台が出来上がるのを想像しています。なにより贅沢すぎるキャスト陣がどんな世界を紡ぎ出していくのか…今からワクワクしています。ご期待ください。

脚本・日向 十三 コメント

こんにちは。『かへり花』の台本係、日向十三です。ん、知らんけど、何者? と思いましたね。はい、同感であります。私も自分が何者なのか、かれこれ50有余年、分からぬままなのです。
ですから作品について一筆よろしくと言われても、自分のことすらよく分かっていない自分の書いたものが分かるわけがないのです。それでも、書くには書いたのだ、何か言えるだろう、言ってしまえ、そう己に言い聞かせ、こうして独り言ちているわけです。
ただ、そうは言っても書いた本がどう料理されるのかまるで分からないのが演劇です。当てずっぽうで的はずれなことを言っていいものか。子供のない夫婦が、「いずれ生まれてくる僕たちの子供はきっと可愛いくて賢くて親孝行で将来一角の人物になるに違いないよ、だって僕と君の子供だもん」というような話をベッドの中でするのとは訳が違うのです。考えれば考えるほど何も言えなくなります、、、
とは言えです、そういうわけでこれでお終い、なんて文章を書いたら、まあ書き直しでしょう。こういうのをちゃんと書くのも台本係の仕事ですよ、なんて叱られて。出来ればそれは避けたい。人生は書き直しをしていられるほど長くはないのです。
(咳払い)えー、この作品の舞台は、どんな町にでもありそうな「ちびっ子広場」であります。しかしながら、登場人物はみな、どこにでもいそうな大人です、、、そうだったっけ、、、大人のような、、、子供のような、、、大人って何だ、、、俺は大人か、、、あなたも、、、オトナ?

大人とはシワだらけの子供のことである。毒を抜かれ、やたらとすっぱい食い物にされた梅の実に似ていなくもない。

大人とは、大人を演じている子役のようでもある。分からないことを分かったように話すが、そうすれば拍手を貰えることだけはよく分かっている。

禁止されても遊ぶのが子供の特質ならば、禁止されてもいないのに遊ばないのが大人の特質である。ゆえに、遊びたいのに遊べない者は大人に非ず。ただ疲れ果てた、哀れな子供に過ぎない。

うーん、やれば出来るじゃないか。小学校の先生が言った通りだ。