◇セ・リーグ 阪神1ー0中日(2024年5月15日 バンテリンD)

 「5・15」と言えば、阪神元監督・真弓明信を思い出す。本人から聞いたし<背筋がゾッとした思い出>と著書『“ジョー”の野球讃歌』(恒文社)に記している。

 太平洋(現西武)でプロ1年目だった1973(昭和48)年5月15日、阪急戦(西宮)で3―3の延長10回から遊撃に入った。1死からボテボテの遊ゴロが転がり、弾いた。続けてきた緩いゴロも焦ってファンブルし、一、二塁。左前打でサヨナラ負けとなった。

 西宮・甲東園の旅館「椿荘」に戻り、監督・稲尾和久から「前を向け」と声をかけられた。翌日2軍降格である。<弱気な考えを追放してから、僕は失策したグラブに「5・15」と日付を入れた>。痛恨の日付とともに2軍でノックを受けた。

 この日、阪神・佐藤輝明が2軍に落ちた。前夜、豊橋で敗戦につながる落球(失策)を演じていた。朝、2軍に合流し個人ノックを受けた。

 佐藤輝の素質や可能性は誰もが認める。だが現状では何かが足りない。「5・15」を再出発の日としなくてはいけない。

 映画『ナチュラル』で不運続きの天才児ロイに故郷の恋人アイリスが話しかける。「人生には二つあるの。何かを学ぶ人生と、その後を生きる人生」。人間は生まれ変われるのである。

 チームとしても痛恨敗戦の翌日、再出発の「5・15」だった。佐藤輝に代わって1軍に昇格、三塁を守った渡辺諒が横っ跳びで打球に食らいつき、失点を防いだ。投手戦であり、守りあいの0―0延長戦だった。

 延長11回表、先頭森下翔太二塁打で無死二塁。中野拓夢は送りバントを続けて失敗(連続ファウル)して追い込まれたが、左腕の外角低めスライダーに食らいついて引っ張り、進塁打(二ゴロ)を転がした。一塁へは頭から突っ込んだ。

 「おう、あれな」と監督・岡田彰布はたたえた。「やることをやれば、やっぱり点になる。向こうも無死二塁があったけど、走者が進まんかったやろ」。6回裏無死二塁、相手は遊ゴロで走者はくぎ付けだった。

 この1死三塁に近本光司が追い込まれながら低め沈む球に食らいつき右前決勝打を放ったのだ。

 渡辺、中野、近本……と、食らいつく姿勢が表に出ていた。佐藤輝はテレビで見ていただろうか。学ぶ要素が見えた勝利だった。 =敬称略=

 (編集委員)