2024年1月に発生した能登半島地震。それから4カ月以上たったが、まだまだその深い爪痕は残ったまま。特に被害の大きかった珠洲市や輪島市は倒壊した建物がそのまま残り、再建のメドが立っていない状況が続いている。

この地震で消滅の危機に瀕しているのが、重要無形文化財にも指定されている輪島塗だ。

輪島塗の塗師として活躍する赤木明登氏に現状を取材し、2回に分けてお伝えする(本記事は後編)。

*この記事の前半:消失危機!「輪島塗」は復活できるのか【前編】

輪島から「職人」が消える

「僕のところから独立し、輪島で塗師になった若い子たちが6人いました。けれど、被災をきっかけに5人は他県への移住を決めましたね」

少し遠くを見て、指を折りながら独り言のように塗師の赤木さんが呟く。

「花野くんは金沢へ、福崎くんは兵庫かな。安齋夫妻は千葉へ行ったし、関くんも京都でやると決めた。土田くんは小松へ行ったし、輪島に残ったのは鎌田くんだけかな……」

若い彼らは家族も養わなければならない。壊滅した輪島の復興を待つことなく他県に行くと決めたことは、責められることではなかった。

一方、一緒に器を作っていた木地師たちは、安否確認の連絡もままならなかった。

高齢者の職人は携帯電話を持たない人も多い。連絡がつかずに倒壊した作業場を何度も訪れても、留守で会うことができない状況が続いた。

椀木地などを作る刳物師の池下さん。震災前の工房で赤木さんと(写真:赤木明登)