「Sunny」という曲をご存じだろうか。アメリカのR&Bシンガー、ボビー・ヘブの手になる、’60年代ポップスを代表する名曲である。1966年に発売されたこの曲は、ビルボードのシングルチャートで2位となる大ヒットとなっただけでなく、フランク・シナトラやエラ・フィッツジェラルド、スティービー・ワンダーやザ・ベンチャーズまで、数多くのミュージシャンにカバーされ、愛されてきた。ボビーにとってはデビュー曲であるこの曲は、一聴すると恋人に想いを告げるラブソングのようだが、よくよく聴き込んでみるともっとずっと深い意味を読み取ることができる。次第に、実はこの何度も呼びかける「Sunny」は恋人のことではなく、言葉通り「太陽」のことなのではないかとすら思えてくる。このちっぽけな自分をはじめとした生きとし生けるものすべてを、溢れる慈愛をもって照らし温めてくれる太陽。傷つき沈んでいた心を優しく包み込んでくれる太陽に、感謝の意をもってシャウトする「Sunny」。それは愛であり、夢であり、希望をもたらすものだ。

今回はその「Sunny」の冠号を持つ二冠馬、サニーブライアンの物語である。


サニーブライアンは、1994年4月23日、北海道浦河町の村下ファームで生まれる。

父はブライアンズタイム。初年度産駒から三冠馬ナリタブライアンやオークス馬チョウカイキャロルといったクラシック馬を輩出した名種牡馬である。翌年も菊花賞馬マヤノトップガンなど大舞台に強い大物を送り出した。

1994年産のブライアンズタイム産駒はまさにビンテージイヤーと言える。皐月賞と日本ダービーを制して二冠馬となる本馬ををはじめとして、朝日杯3歳ステークス勝ちのマイネルマックス、古馬相手に有馬記念を勝つシルクジャスティスのGⅠ勝馬やエリモダンディー、セイリューオー、シルクライトニングなど多士済々であった。

サニーブライアンの母は、サニースイフト(母の父スイフトスワロー)。母の全兄に日本ダービー2着のサニースワローがいる血統である。馬主は前出サニースワローと同じ宮崎守保氏、管理調教師は美浦の中尾銑治調教師、そして、鞍上にはすべてのレースで騎乗した大西直宏騎手がいた。

1996年10月5日、サニーブライアンは東京競馬場の芝1800mの新馬戦でデビューする。ダービー馬ウィニングチケットの全妹のスカラシップが人気を集めていたこの競走で、3番人気に推されたサニーブライアンは、好発から先頭に立ち、悠々と逃げ切り勝ちを収めた。その後、東京競馬場芝1800mの3歳500万下百日草特別に出走して、2番人気でクリスザブレイブの5着、続いて重賞に果敢に挑戦し前走と同じ東京芝1800mの府中3歳ステークスに出走した。ここではスピードワールドに次ぐ単勝2番人気に推されたが、小倉3歳ステークスの優勝馬ゴッドスピードの7着に敗れた。

その後、中山競馬場の自己条件のレース、ひいらぎ賞(芝1600m)と若竹賞(芝2000m)に出走したものの勝つことができず、2勝目を挙げたのは6戦目となる中山競馬場の芝2000mのオープン特別・ジュニアカップ。ここは格上挑戦であったが好スタートから先頭に立ち、スローペースに落としそのままゴールし、オープン馬の仲間入りを果たす。

次走は中山競馬場の皐月賞トライアル・弥生賞芝2000mで、道中4番手追走ながらランニングゲイルの3着に入り、皐月賞の優先出走権を得た。さらに、太りやすい体質であったというサニーブライアンは優先出走権を既に持っていながら、中二週で再び皐月賞トライアル・若葉ステークス(中山競馬場・芝2000m)にも出走。1番人気に推されたが、ここでは逃げることができずシルクライトニングの4着に敗れた。この結果、サニーブライアンは次の本番・皐月賞での人気を大幅に落としてしまうことになった。

皐月賞では大外となったサニーブライアン。大西騎手は、スタートダッシュがあまり良くない馬のため外から被せられない大外枠を事前に希望していたそうで、これは思惑通りの結果であった。単勝は11番人気、単勝オッズは51.8倍。1番人気の皐月賞トライアル・スプリングステークス2着馬のメジロブライトの単勝が2.9倍だから、サニーブライアンがいかに人気の盲点になっているかがよくわかる。

ゲートが開いて、スタートが切られた。セイリューオーが好スタート。ビッグサンデーが続くが、大外からサニーブライアンがハナに立って逃げる。大西騎手の想定通りだ。ところが1コーナーで引っ掛かり気味に飛ばしてきたテイエムキングオーにハナを奪われる。サニーブライアンは先頭を譲って2番手で控えた。有力馬の位置取りは、セイリューオー、エアガッツは中団、シルクライトニング、ランニングゲイルは後方、最後方にメジロブライトとヒダカブライアン、エリモダンディー。

3コーナーにかかると、テイエムキングオーは脚をなくして失速。サニーブライアンが再び先頭に立つ。4コーナーを回って直線。3馬身抜け出したサニーブライアンに有力馬たちがどっと押し寄せてくる。フジヤマビザンとシルクライトニングは内を突き、ランニングゲイルとメジロブライトが大外から芝を蹴立てて飛んでくる。なかでもシルクライトニングの脚色がいい。2馬身、1馬身。差が詰まっていく。大西騎手の気合が炸裂する。サニーブライアンのエンジンが再点火。サニーブライアン、シルクライトニング…大接戦のまま、ゴールを迎えた。

着差はクビ差。シルクライトニングの猛追を凌いで、サニーブライアンが先頭でゴールに飛び込んだ。11番人気サニーブライアンー10番人気シルクライトニングで決まった馬券は馬連51790円の大波乱となった。

皐月賞の大波乱の要因は、上位人気に推されていたメジロブライト、ランニングゲイルたちの脚質が差し・追い込みであることから、後方で上位人気馬が牽制し合っているうちにスローに落として逃げたサニーブライアンの術中に嵌まったという、フロック視する見方が大勢を占めていた。結果として次の大目標の日本ダービーの単勝オッズに大きな影響を与えていくのだった。大西直宏騎手は皐月賞初騎乗初制覇。レース後のインタビューに、「最後の直線は今まで乗った競馬の中で最も長かった」と答え、また日本ダービーへの意気込みを聞かれて「逃げます!」と力強く逃げ宣言をしていた。

陣営は日本ダービーの前に、ダービートライアル、東京競馬場でのプリンシパルステークスを使うことを検討していた。これは皐月賞前に若葉ステークスを使ったのと同じように、太りやすいサニーブライアンの体質を考えて、レースを使って馬体を作ろうとしたものだったが、調教中に他馬に蹴られて外傷を負ったために、同レースは回避し日本ダービーへ直行することになった。

日本ダービーの日を迎えた。サニーブライアンは鞍上の希望通り、再び大外18番枠を引き当てた。1番人気は皐月賞でも1番人気だったメジロブライトで単勝オッズ2.4倍。サニーブライアンはと言えば6番人気の単勝13.6倍と変わらずの低評価だった。

初夏を思わせる新緑が煌めく中、日本ダービーの本馬場入場。残念ながら馬番1番のシルクライトニングが故障発生し競走除外、17頭立てのレースになった。波乱の空気が立ち込める中、日本ダービーのスタートが切られた。

サニーブライアンが押して先手を獲りに行く。サイレンススズカが1コーナーまでに多少頭を上げたものの、ハナを主張せず3番手に控えた。単騎で行ったサニーブライアンがペースをスローに落とす。大西騎手の作戦通りの展開だ。2,3番手にフジヤマビザンとサイレンススズカ、その後ろにマチカネフクキタル。ランニングゲイルはいつもより前目の中団を走る。メジロブライトは後方3番手、その後ろにシルクジャスティス、エリモダンディーが最後方待機。

向こう正面を過ぎてもペースは上がらない。3,4コーナーを回って直線へ。先頭はサニーブライアン。直線に入ってスパートし、後続を突き放す。

ランニングゲイルは馬場の中央から、メジロブライト、シルクジャスティスは大外から脚を伸ばしてくる。直線の長い坂を上る。馬場の中央から、大外から、鋭い脚で迫る後続の馬たち。馬群の一番外、シルクジャスティスの脚色がいい。一完歩ごとに前方の逃亡者へと迫って来る。その差2馬身、1馬身半、1馬身。しかし、サニーブライアンは、肉薄しようとする後続を、また皐月賞の勝ちをフロック視するファンを、あざ笑うかのように華々しくゴールした。「これはもう、フロックでも、なんでもない!」実況アナウンサーの絶叫が響いた。

レース後のインタビューで大西騎手が語った「一番人気はいらないから、一着だけ欲しい」というコメントは、サニーブライアンを語るとき象徴的な言葉として必ず引用される。それはまさに10年前、近親サニースワローを駆ってダービー馬メリーナイスの2着に敗れた、勝負師大西騎手だからこそ出てきた言葉でもあった。

二冠馬となったサニーブライアン。大西騎手はインタビューに答えて「(菊花賞も)逃げて、三冠を狙います」と発言していた。しかし残念ながら、放牧中に骨折が判明。全治までに6か月を要することから、菊花賞を断念せざるを得ず、三冠馬となる夢は潰えてしまった。

サニーブライアンの成長力を考えると、残念な思いが強くなるファンは多いだろう。一冠目の皐月賞、サニーブライアンはシルクライトニングの猛追を紙一重でかわしてゴールに飛び込んだ。皐月賞ではサニーブライアンに余力はほとんど残ってないように思えた。ところが二冠目のダービーでは、レースの主導権は完全にサニーブライアンが握っていた。ゴール前、シルクジャスティスが目覚ましい脚色で迫ってきたが、今度は全く危なげなく余裕をもって逃げ切ったように見えた。そのシルクジャスティスが後にマーベラスサンデー、エアグルーヴら一線級の古馬を相手に有馬記念を勝ったことを考慮に入れると、ダービー時のサニーブライアンのパフォーマンスは4歳ナンバーワンとして恥じないものだった。1997年の最優秀4歳牡馬に選出されたのも当然と言えば当然だろう。結果としてサニーブライアンは、骨折が癒えた後、天皇賞(春)を目指しての調教中に屈腱炎を発症、ターフを去ることとなってしまった。しかし、春二冠で見せたパフォーマンスと、GⅠ馬となった後の成長力はまさに名馬と呼ぶに相応しいものではなかったかと思う。

サニーブライアンがダービーを勝った時、馬主の宮崎守保氏は、サニーブライアン1頭しか現役競走馬を持っていなかったという。このような形でダービーを勝ったのはJRA史上初のことであり、ほかの馬主たちからは「奇跡」と言われたらはさい。奇跡のような輝きを誇ったサニーブライアン。宮崎氏がサニーという冠号と偉大なる父ブライアンズタイムから名付けた馬名を持ったその馬は、「Sunny」のごとく輝き、生きとし生けるものすべてを照らし、温め、包み込んでくれた。「ヒダカじゃなくてサニーかよ」などとぼやいていた競馬ファンも例外ではない。宮崎氏がサニーの冠号に託した思いは、名曲「Sunny」とリンクするかのようにその温かさを伝えていったのだ。


ぼくは「Sunny」を聴くたびに、サニーブライアンの逃げを思い出す。マイナーなコード進行でありながら、心を湧き立てるフレーズに溢れている。何かに追い立てられてやむなくではなく、自分の中に立ち上る炎を焚きつけるように、その逃げは大胆で、繊細で、そして美しい。一度サニーの逃げに魅せられたら最後、ぼくらはその影を追わずにはいられない。逃げ馬の瞳に輝く炎を見つけることが、ぼくらの何物にも換え難い終わりのないミッションなのだ。

写真:かず

著者:高橋薫