東京にやってきたフランス人の著者が、マッチングアプリを通じた出会いについて綴り、フランスで話題を呼んだエッセイ『東京クラッシュ 男は星の数ほどいるけれど』(ヴァネッサ・モンタルバーノ著、池畑奈央子訳/ハーパーコリンズ・ジャパン)。

 刹那の恋、未遂の恋、本気の恋、東京独特のデートのお作法や恋愛のルールなどについて書かれた同書から、一部を抜粋し掲載します(前後編の前編)。


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日本語でマッチングアプリを始めてぶつかった「壁」

 ティンダーにプロフィールをアップしたあと、わたしは操作を開始した。ランダムに表示される写真を見て、気に入らなければ左にスワイブ、気に入れば右にスワイプして、「Like(いいね)」を送る。これは面白くて、クセになった。

 気に入った相手がLikeを送ってくれば、マッチングが成立。マッチした相手にメッセージを送る。初めての経験だった。まだ漢字が読めなかったので、自動翻訳を使って相手のメッセージを読み、わたしの知っている初級の日本語でメッセージを送った。

 でも、ユーモアのセンスがあって、当意即妙に反応する男はひとりもいない。送られてくるメッセージはどれも似ている。判で押したように、型にはまった礼儀正しい文章だ。日本の社会がいつでも、そして、どこでもそうであるように、男性が女性を誘うときもなんらかのルールにしたがっているように見えた。

 わたしは少しずつ「敬語」に慣れていった。日本語を学習する外国人にとって、これが難関のひとつ。敬語は本当に難しい。日本人でさえそう言うぐらいだ。敬語の使い方は3通りある。まず、相手に丁寧に話す丁寧語。次に、相手に敬意を示す尊敬語。そして、へりくだった表現をする謙譲語だ。

 日本人は子どもの頃から、“先輩”“後輩”という人間関係になじんでいる。先輩は年上でお手本とすべき存在、後輩は年下で経験不足。だから指導者(メンター)が必要と考えられている。こうした人間関係に応じて、日本人は異なる話し方を巧みに使いわけているわけだ。

 ティンダーでは、ほとんどのメッセージが教語で書かれている。「敬語を使おうとしないような男は絶対に相手にしないこと!」日本人の友人セイナからそう言われたけれど、納得できなかった。敬語を使う男性が全員、まじめなタイプとは限らないだろう。それに、いつまで敬語を使わなければならないのだろうか?

 わたし自身は早々にくだけた口調で話すことが多かった。敬語よりもそのほうが話しやすかったから。それに、敬語を使うとどうしても相手との間に距離ができる。それではなかなか打ち解けることができない。

日本人の友人に教わった、「敬語」をやめるタイミング

 セイナによれば、出会ってから数回のデートのあと、あるいは“告白”のあと、敬語は使われなくなるという。ちなみに、告白とは相手に気持ちを伝えることで、正式に交際を始めるきっかけになる。

 それでも、中には数カ月も敬語を使いつづけるカップルもあるらしい。「セックスしたり、ケンカをしたりすると、それがきっかけとなって、敬語を使わなくなるもんだよ」セイナがそう説明してくれた。つまり、敬語はふたりの関係を始める最初の一歩というわけ。

 同様に、相手を名字で呼んでいるか、それとも名前で呼んでいるかで、ふたりの人間関係がわかる。名前の後ろにつける「敬称」も然り。フォーマルな、「ムッシュー」「マダム」のような呼び方で、客に対しては「〇〇さま」、丁寧語で話す相手には「〇〇さん」と呼びかける。そして、親しい間柄になると、「〇〇ちゃん」や「〇〇君」となる。


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 バイト先の居酒屋では、スタッフは全員わたしの先輩なので、わたしは当たり前のように「ヴァネちゃん!」と呼ばれていた。その後、フルタイムで働いた会社では、「ヴァネッサさん」と呼ばれた。ちなみに、日本人スタッフは名字で呼び合っているのに、外国人スタッフは圧倒的にファーストネームで呼ばれることが多い。

ナイトクラブでも礼儀正しい日本人男性たち

 日本ではナイトクラブでさえ、男たちはルールにしたがって女性を誘う。クラブは、「ナンパとパリピの巣窟」と呼ばれている。だから、気をつけるように言われていたにもかかわらず、実際に行って、自分自身で確かめたのだから間違いない。“パリビ”とはパーティー好きな人々のことで、「パーティー・ピープル」という言葉からきている。

 その夜、わたしは日本語学校の仲間たちと渋谷に集合した。人混みを縫うようにスクランブル交差点を渡り、わたしたちは外国人に人気のクラブ、WOMBに向かった。入口で身分証明書を見せ、ロッカーに荷物をあずける。一瞬、プールに来たような錯覚を覚えたが、それを除けば、どこにでもあるようなごく普通のクラブだ。人であふれたダンスフロアにバー、きらめくミラーボール……。想像していたような派手な装飾もない。

 わたしはふたりの日本人男性から誘われた。「はじめまして(ナイス・トゥ・ミート・ユー)」と言って、手を差しだす。わたしがその気がないジェスチャーをすると、ふたりとも「お邪魔しました」と頭を下げ、「楽しんで!」と言って、礼儀正しく立ち去った。

文=ヴァネッサ・モンタルバーノ
訳=池畑奈央子