現役引退を決めた元日本代表MF長谷部誠。00年代後半からドイツで取材を続けた日本人ライターが見た、フランクフルトでの円熟期の“裏話”とは。(NumberWeb引退記念ノンフィクション/第7回も)

 長谷部誠は自身のプロキャリアには3つのフェーズがあると考えている。

 1:浦和レッズでプレーしていた時期
 2:渡独した2008年から2018年のロシアW杯まで日本代表でプレーした時期
 3:日本代表を引退して所属クラブでのプレーに専念した時期

 3つ目のフェーズに入ったのが、2018年7月から始まった新シーズンだった。

代表引退後、中田英寿に相談したこと

 このシーズンに入る前のこと。当時34歳の長谷部は日本サッカー界のレジェンド中田英寿に会い、個人的な相談をしている。ちょうど日本代表を引退したばかりの時期だった。

「『僕はこれからどこにいけばいいんですか?』と聞いたんですけど、本当に興味深いお話をしていただきました。ただ、どういうことを話していただいたのかはちょっと、自分の中だけで、とどめたいなと思います」

 長谷部と中田と、同席したタレントの石橋貴明しか知らないアドバイスを胸に、長谷部は新シーズンへと入っていった。

 ただ、前のシーズンをもって恩師であるコバチはフランクフルトの監督を退任。長谷部も34歳になっていた。信頼関係をイチから築くのは大変ではないか、という見方は確かに存在した。

 実際、ヒュッター新監督(現在は南野拓実が所属するモナコを指揮)の下での滑り出しは決して芳しくなかった。

 プレシーズン中はリベロでプレーすることの多かった長谷部は、開幕前のスーパーカップでも先発したがバイエルンにホームで0−5の大敗。途中からボランチに入った長谷部も失点に絡んだ。その後、リーグ開幕から2試合はベンチからも外れた。表向きには体調不良が理由だったが、「体調を崩していなくてもメンバー外だった」と後に振り返っている。

35歳にして年間ベストイレブンに選ばれた

 しかし、である。

 長谷部以上に苦しんでいたのは、ヒュッター監督だったのかもしれない。フランクフルトが機能するための最適解を見つけられずにいたからだ。

 メンバーをローテーションする絶好のタイミングであるEL(ヨーロッパリーグ)の初戦、長谷部はインサイドハーフとして先発で送り出された。フランスの雄オリンピック・マルセイユを敵地で下した試合での好プレーで、ヒュッター監督の印象は変わった。

 それゆえに、続くブンデスリーガの強豪ライプツィヒ戦でも先発で送り出された。

 この試合ではフォーメーションを4バックから3バックへと変更し、長谷部はリベロを任された。試合結果こそ1−1だったが、苦しんだのはライプツィヒの方だった。

 そこから長谷部は不動のリベロとして君臨。好プレーを連発して、シーズン前半戦は老舗『キッカー』誌の採点ランキングのDF部門で首位に。その後もパフォーマンスは衰えることはなかった。そして同誌による年間ベストイレブンに選ばれた。

 リーグ開幕戦でベンチ外だったところからの、飛躍的な進化。長谷部は35歳にして、ドイツメディアからもっとも高く評価されるシーズンとなった。

 その後も絶対的な主力として君臨し、ヒュッター政権の3シーズン目の途中からは再びボランチとして重宝されるようになった。リベロとして高く評価してくれていたヒュッターが、“ボランチとしても”認めてくれた。

監督が代わっても再び定位置、そしてEL制覇

「心からサッカーを楽しめていた」

 長谷部はそう考えている。

 しかし、時間をかけて全幅の信頼を勝ち取った指揮官は、このシーズン限りでの退任を決めてしまう。

 さすがに、ここまでか……。

 3年前と同じように、長谷部の行く末について、懐疑的な見方は確かに存在した。

 新シーズンにやってきたのが、グラスナー監督だった。開幕戦こそボランチで先発出場したが、そこでドルトムントに大敗。以降はスタメンから外れた。

 ただ、新加入選手の登用に熱心なグラスナーの方針が上手く機能していたわけではない。長谷部が先発落ちしたリーグ第2節から公式戦6試合連続で勝利から見放されている。こうなると、監督としては手を打たないといけない。

 まるで、ヒュッター前監督の初年度の再現を見ているかのようだった。長谷部は再びELの試合でチャンスを得ると、新チームの公式戦初勝利をもたらした。これでグラスナー監督の心をつかむと、またレギュラーポジションを手にした。疲労を考慮されてELで休みを与えられる試合もあったが、最終的には自身初となるヨーロッパのタイトルであるEL優勝を経験した。

「ハセベは38歳でもCLでプレーしてるんだよ!」

 この優勝により、フランクフルトは翌2022−23シーズンのCL(欧州チャンピオンズリーグ)に出場するチャンスを得た。長谷部はすでに38歳になっていた。その価値を誰よりもわかっていたのは、同じサッカー選手だ。

 トッテナムで当時エースとして君臨し、プレミアとブンデス、そしてW杯得点王の実績を持つハリー・ケイン(現バイエルン)は、CLでのフランクフルトとの記者会見で長谷部について絶賛し、大きな話題となった。

「長谷部は38歳になっても、CLでプレーしているんだよ! それだけでもう、高く評価するに値するさ」

 見逃せないのは、2009-10シーズンにボルフスブルクで初出場してから、再び同大会に出るまでに、13年も経っていたこと。

 CLに出場できるのは、各国のトップの数チームだけ。そうしたチームに在籍できる期間はそもそも少ない。

 長谷部はニュルンベルク経由でフランクフルトに来て、チームとともに年々、少しずつ成長し、13年かけて世界最高の舞台へ戻ってきた。公式のデータこそないものの、13年ぶりに出場する選手などほとんどいないはずだ。

少し考えましたよ。今シーズンでやめようかなと

 ただ、そんな舞台で予期せぬアクシデントが襲った。トッテナム戦で左ヒザを負傷してしまったのだ。さすがに落胆を隠せなかった。

「やはり、少し、考えましたよ。『今シーズンでやめようかな』と……」

 実は2022-23シーズンの時点で「来シーズンで99%、引退するつもりでいます」と語っていた。そのなかでの負傷は、長谷部の心にも重くのしかかった。

 ただ……。

「1番はやはり、サッカーをすることの楽しさを感じたことです。チームメイトとの競争などを通して、それが消えることは全然なかった。むしろ、楽しさがより増してきているので」

 それが、残り1%の道を選んだ最大の理由だった。

 まだサッカー選手として戦おう。

 長谷部は39歳にして心に誓った。CLという最高の舞台での負傷は、自分にとってのサッカーの価値や大切さを気づかせてくれたものだったのかもしれない。

 今シーズン、つまり2023-24シーズンは「99.9%引退する」だろうという覚悟をもって、向かうことになった。

 そんなシーズンにやって来たのが、若き戦術家トップメラーだった。

鎌田らが去った新チームの中での役割

 長谷部が新指揮官に与えられた役割はハッキリしていた。コンディションを保つためにも、若い選手たちの規範となるためにも、ドイツ杯では常に先発を任された。一方で、ブンデスリーガやELの舞台では、サブからチャンスをうかがうことになった。

 ただ、過去と決定的に違っていたのは、チームが大きく崩れるような時期がなかったこと。シーズンを通して得点力不足にあえいではいたのだが、守備は安定していた。

 原因はハッキリしている。クラブの補強策に偏りがあったからだ。

 攻撃陣に目をやると、鎌田大地やコロ・ムアニを筆頭に主力級の4選手が移籍していた。

 一方、センターバックのポジションに補強したコッホとパチョの2人は大当たり。さらにボランチには前シーズンに『キッカー』誌でベストイレブンに選ばれたスヒリが加入した。中盤の守備的なポジションからセンターバックには盤石の選手層が整っていた。

 またトップメラーは、多くの試合で攻撃時に変則的な4バックで、守備時はオーソドックスな5バックで守る形を採用した。監督がセンターバックに求めるのは、相手にボールを奪われた瞬間に個の力で守り切る能力や、ラフなロングボールでも跳ね返すような強さだった。

大きく力が衰えた感覚はなかったのだが

 一方の長谷部は守備では読みとバランス、攻撃では展開力と身体の向きの使い方でリベロとして活躍してきた。その結果、長谷部のリーグ戦の出場試合はドイツにきてからもっとも少ない8試合にとどまり、スタメンは2試合だけだった。

 大きく力が衰えたという感覚が長谷部の中にあるわけではない。

 例えば、現役最後に先発出場を果たした4月14日のシュツットガルト戦にしても、「前半の僕たちは寝ていたかのようだった」と長谷部が表現した45分を経て、後半は攻撃時はリベロ、守備時にはダブルボランチの一角になってチームに流れを引き寄せた。終盤にも勢いよく前線に飛び出し、相手がファールでしか止められないようなプレーも見せていた。

「『コンスタントに試合に出れたら、自分は良いプレーができる』という自信は持ったままやめられます。ただ、コンスタントに試合に出ていたら得られるフィーリングというのがあるんですよ。今シーズンは試合にコンスタントに出ることがなく、それが失われてすごく難しさは感じていました」

 そして、この試合の翌週に長谷部はドイツで記者会見を開き、引退を発表した。

純粋にサッカーを楽しみ、正当に評価してもらった

 ただ、引退を決めたのはシュツットガルト戦がきっかけだったわけではない。その数週間前には意志を固めていた。

「あぁ、次のステップに進むべきときが来たのだな」

 全ての状況を俯瞰したうえで、長谷部は自分自身で決断した。

 サッカー界に限らずだが――プロスポーツでは、多くのアスリートが必要とするチームがなくなることで、引退を余儀なくされる。だから、自分でキャリアの幕を引くことが、どれだけ幸せなことかを長谷部はよく理解していた。

 長谷部は日本でもドイツでも、引退の記者会見に臨んだが、胸を張ってキャリアを振り返ることができたのはそれゆえなのだ。

 そして、プロサッカー選手として過ごした最後のフェーズを、こんな風に形容したのだった。

「一番純粋に、サッカー選手として、サッカーを楽しんでいた。そして、サッカー選手として、一番正当に、みなさんに評価してもらった時期だったんじゃないかな」

 そんな長谷部は会見で、自らのサッカー人生にフォーカスするとともに――家族への感謝も口にしていた。
<つづく>

文=ミムラユウスケ

photograph by Itaru Chiba