ユヒャン、インタビュー前編

 関西や韓国を拠点に活動する“パッション美容家”のユヒャン(38)。テレ朝系バラエティ番組「相席食堂」に2週続けて出演するなど、最近注目のタレントの一人だ。同番組ではロケスターを発掘する企画で優勝するなど、抜群のトーク力を持つ。「第2のアンミカ」とも言われる彼女に話を聞いた。

――最近、「相席食堂」に2週連続で出演しました。

 YouTubeで料理研究家として活躍されているロバート・馬場さんと一緒に、韓国・ソウルでロケをしました。ご飯のお供を探しに行くというのがテーマです。

――番組では、どのような役割なのでしょうか。

 私は“面白すぎる通訳”として参加させていただいています。癒し系の馬場さんと、パッションが強めで「安いアンミカ」と言われている私の絡みに注目してもらいたいです。あとは、日本では知られてない、韓国のご飯のお供や珍味を紹介しているので、見応えがあると思います。

――面白そうですね。

 はい、1週目は声だけの参加なんですが、MCの千鳥さんからは「この声はユヒャンやないかい」ってバレてしまっています。2週目はがっつり出演させていただきました。U-NEXTやTVerで見ることができるので、ぜひ見てもらえるとうれしいです。

――「相席食堂」では、昨年のロケスター を発掘するというスペシャル番組で優勝しています。どのあたりが評価されたのでしょうか。

 一人でただ、ずっと喋り続けられるというところだと思います。例えば、生クリームを売っている自動販売機がロケ先にあるんですが、生クリ相手に30分以上喋ったりしていました。私、お題が出されたら、ずっと喋り続けられるんです。

「パッション美容家」

――すごいですね。

 それで、ロケスキルがあると評価してもらいました。優勝後は、バラエティ番組に10本以上出演させていただきました。お昼の情報番組や夜の韓国旅行番組は企画から携わっています。

――テレビでは何が支持されていると思いますか。

 一人でロケして、楽しくできるところですかね。人と絡むのが大好きで、“励まし芸”っていうのを広めています。誰かのいいところ見つけて、褒める 。そうすると、その人が自信を持って、輝くんです。そのお手伝いをできる仕事がしたいという思いから、「パッション美容家」と名乗らせていただいています。

――昔から一人喋りは得意だったのでしょうか。

 もともと、テレビ通販をやらせていただいていて、商品の魅力を引き出すトークは、すでに身についていました。あと、人を褒めたり、人のいいとこ ろ見つけるのが昔から得意なんです。日頃からそういうことを、水がこぼれるみたいに普通にやっているので、ありのままの自分を出している感じです。

――美容家としての活動はいつからだったのでしょうか。

 同志社女子大学を卒業後に、韓国の伝統美容にはまってしまったんです。大阪のリーガロイヤルホテルの文化サロンで、美容の先生もやっていました。セレブの方に美容を広めることをやりながら、韓国にも足を運んで、現地の美容情報を雑誌やブログで伝えていました。

――韓国では何か活動はされていたんですか。

 韓国美容にすごく詳しい専門家として、江南(カンナム)区の美容医療の広報大使もやらせていただきました。さらに、韓国の観光をPRするという広報活動をやりながら、美容のショップチャンネルやCMにも出させていただきました。

アパレルの会社を経営

――20代は美容のことが中心で、30代はどのような活動をしてきたのでしょうか。

 美容以外にも、自分でアパレルの会社を経営していました。今はほかの人に任せています。

――芸能活動を始めたのはいつ頃ですか。

 20代半ばです。初めては関西テレビの夜のバラエティ番組に出させていただきました。

――話術はどこで鍛えたのでしょうか。

 話術というより、自分としては特別なことではなく、普通のことなんです。それは、どこの国に行っても同じです。この前もサウジアラビア大使館の人と、何語か分からへん言葉で2時間ずっと喋ったりとかしました(笑)。もう、心で話しているような感じです。

――やはり、話が上手で情熱がある点は、アンミカさんに似ていますね。

 そうなんですよね。「“ジェネリック”アンミカ」と言われたりもします(笑)。番組では大吾さんに「安いアンミカ」と言われました(笑)。あんな立派な方の名前にたと えていただけるだけで感謝です。

――「パッション」というフレーズはどこから出たのでしょうか。

 大学生ぐらいの時から「パッション」「パッション」と言っていたようなんです。情熱があればなんでもできると思うんですよ。どんなに大きい氷山でも強い情熱で、絶対融けると思っています。大きな壁は跳び箱や、という気持ちで、皆さんと一緒に飛び越えていきたいですね。

後編【同志社女子大時代は飛び込み営業1日40件 22歳で結婚、29歳で離婚、韓国で騙し合い…「第2のアンミカ」が明かす壮絶人生】へつづく

デイリー新潮編集部