【大谷翔平「二刀流の血脈」自信と気質とアタマ編】#1

 華々しい活躍で世界を沸かすドジャース大谷翔平(29)。

 日刊ゲンダイが過去に連載した「秘話 大谷翔平『二刀流の血脈』」を、大谷の自信、気質、アタマの3点に焦点を当てて再編し、その軌跡を紐解いていく。今回は第1回。


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 子供の頃から人一倍、負けず嫌いだった。

 水沢リトル時代、全国大会に出場するも初戦敗退。試合後の集合写真には泣き腫らし、腫れぼったい顔をした大谷が写っている。味方がエラーすれば、マウンド上で腹を立てた。一関シニア時代も、試合に負けると目に涙を浮かべた。

 父親の徹さんは中学時代、陸上三種競技の岩手県大会で6位に入賞しながら、それでも野球に転向。例えば100メートル走では1位にならない限り他人の背中を見ることになる。それが嫌でたまらなかったからだ。父親の強烈な反骨心、好きな野球で他人に負けてたまるかというハングリー精神にも似た気持ちが大谷の原点にはある。

 花巻東高3年時、春の選抜の初戦で藤浪晋太郎(現メッツ)のいた大阪桐蔭に完敗。その藤浪から本塁打を放ったものの、投手としては8回3分の2を7安打7四球9失点と火だるまに。すると夏は取り返そうと、翌日から闘志むき出しで猛練習。山梨遠征では圧巻の投球を見せ、夏の岩手県大会準決勝(対一関学院戦)では160キロをマークした。

 2009年、菊池雄星(現ブルージェイズ)を擁する花巻東が春の選抜で準優勝、夏もベスト4に。菊池の活躍は当時、中学3年生だった大谷たちの間でも大きな話題になった。

 菊池に憧れて花巻東に進んだといわれるが、そうではない。気心の知れた同級生には「(菊池を)高1で超えてやる」と言っている。花巻東の練習スタイルを気に入っていたことに加えて、同じ環境、条件下で菊池を超えたいと思ったからだろう。

 菊池について「高1で超えてやる」と言ったことからも分かるように、人に負けたくないという強い気持ちを支えているのが大きな自信だ。(つづく)

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