仙台育英に謎の剛腕がいる――。

 その噂は1年前から流れていた。公式戦に登板する機会はほとんどない。それでも、高校2年生にして140キロ台後半の剛速球を投げるという。

 しかも、身長193センチ、体重95キロという恵まれた肉体の持ち主と聞けば、想像は無限に広がってしまう。いったい、どれほどのスケールの持ち主なのか。

「どこで情報を仕入れたんですか?」

 その名を山口廉王という。

 廉王と書いて「れお」と読む。かの名作『ジャングル大帝』(手塚治虫)のキャラクター・レオから命名されたという無名の大器。いつか見てみたいと願っていた。

 4月上旬に仙台育英の須江航監督に問い合わせると、「どこで山口の情報を仕入れたんですか?」と苦笑されつつ、練習試合の予定を教えてくれた。5月2日に北照(北海道)との練習試合に山口が登板すると聞き、「行きます」と即答した。

 北照には侍ジャパンU-18代表候補合宿で強烈なインパクトを残したドラフト候補左腕・高橋幸佑がいる。高橋と謎の剛腕がどんな投げ合いを展開するのか、是が非でも取材したかった。

 試合当日、仙台育英多賀城キャンパスの真勝園グラウンドは独特の緊張感に包まれていた。バックネット裏には、侍ジャパントップチーム前監督の栗山英樹(日本ハムCBO)をはじめNPB球団の編成要職がズラリと並ぶ。高校野球の練習試合とは思えない光景だった。

 そんななか、一塁側ブルペン前で待機していると飛び抜けて上背のある大男がやってきた。間違いない、この選手が山口廉王だろう。

 山口と一緒にやってきた、頭ひとつ小さい2年生捕手の川尻結大が問いかける。

「北照のピッチャーって、日本代表候補なんですよね?」

 山口は鷹揚な口調でこう返す。

「あぁ……、らしい。わかんない。あんまりくわしいこと知らない」

 のちに本人に聞くと、「自分は本当に情報不足というか、他チームの選手のことを気にしていなくて……」と苦笑交じりの答えが返ってきた。

「期待外れか…」と思った瞬間

 もしかしたら、今日の投球が自分の人生を左右するかもしれない――。そんな焦燥は微塵もなかった。

 山口は川尻を相手にキャッチボールを始め、遠投、ブルペンでの投球練習と準備を進めていく。だが、本音を書くとこの過程で山口へのときめきは感じなかった。

 左足をあまり上げず、右腕を斜めに振るフォームは絵にならない。それでも、川尻を立たせての投球練習では、ミットを「バチン!」と強く叩くボールを連発する。上体主導で投げる、変則的なパワー型右腕。それが山口の第一印象だった。

 立ち投げを繰り返す山口に対し、川尻が焦れたように「山口さん、(捕手を座らせて)投げないの? 試合始まるよ?」と催促する。すると、山口はようやく川尻を座らせてピッチングを始める。その力感はキャッチボールの延長のように軽く、返球を受け取ってはすぐにモーションに入るため、雑にも感じられた。この時点で、「期待外れなのだろうか?」と思ってしまった。

 だが、プレーボールのコールがかかると、すべては180度ひっくり返された。

印象激変「とんでもない投手を目撃」

 先発マウンドに上がった山口の1球目を見て、「えっ!」と声をあげてしまった。ブルペンではほとんど足を上げていなかったのに、実戦のマウンドでは左足を高々と上げるフォームになっていたのだ。まるで佐々木朗希(ロッテ)のようにつま先を頭上まで上げるダイナミックなフォームで、ブルペンのピッチングとはまるで違う剛球を投げ込んでいた。

 こちらの理解が追いつかず、パニック状態のまま試合が始まってしまった。

 仙台育英には須江監督が「プロと同じ設定にしてもらって、正確な数字が出ます」と胸を張るスピードガンが常設されている。バックネット裏から表示されるスピードガンの数値は、常時140キロ台後半を叩き出していく。

 北照の2番打者に対して投じた決め球のストレートは、リリース時に着火するのではないかと思わせるほどタイミングのはまった1球だった。捕手の川尻のミットを「バチィッ!」と打ち鳴らしたあと、スピードガンは「150」と表示された。のちに山口に聞くと、自己最速を1キロ更新する会心の1球だったという。

「あのボールは指にかかっている感覚があって、自分でもびっくりするくらい球が走りました」

 山口は立ち上がりから三者三振の最高の投球を見せる。ただ剛速球で押すだけでなく、縦に大きく変化するカーブ、落差の大きなフォークなど変化球もコントロールできている。3回まで被安打1、奪三振5、与四死球0、失点0と無双する山口に、「自分はとんでもない投手を目撃しているのではないか?」と高揚を抑えられなかった。

 ところが、2巡目に入ると山口の球威が一段落ちたように見えた。次第に長打を浴びるようになり、失点を重ねていく。結局、7イニングを投げて3失点で山口は降板する。投げ合った北照の高橋は6回1失点と貫禄の投球を見せた。

 試合は終盤に集中打で逆転した仙台育英が4対3で勝利している。試合後、私はいよいよ山口と対面を果たした。

なぜ投げ方が変わる? 本人直撃

 最初にどうしても聞きたかったのは、ウォーミングアップの謎である。試合前と試合中で、なぜ投げ方が違うのか。山口は「あぁ……」とうなずきながら、丁寧に説明してくれた。

「キャッチボールは基本的にバランスを意識して、足を前に出しながら下半身の動きを確認しています。ブルペンに入ったあとは、足をほとんど上げずに体重移動の形を大胆に強調しています。自分は軸足でプレートを蹴るイメージで、前に飛びながら投げるような体の使い方なので。キャッチャーを座らせてからのピッチングは軽めの力感で、『こういう感じかな……』とイメージだけしながら投げています。いろいろと試行錯誤するなかで、今の形が生まれました」

 山口のようにダイナミックな投球フォームは1球1球同じ動作を繰り返すことが難しくなる。山口は「再現性を高めるために」と、キャッチボールから段階を踏んで調整する今の方法を編み出したという。

「本番のマウンドに完成を持っていくイメージです。いろんなところで足を高く上げて投げちゃうと、ブレてしまうので」

 山口の解説を聞いて納得しつつも、すべての疑問は解消しきれなかった。ブルペンでの投球練習で、指導者から「本番だと思って投げろ」と指示されたことのある投手は無数にいるはずだ。本番で違うフォームで投げることに、恐怖心はないのだろうか。そう聞くと、山口は「変なこだわりなんですけど」と前置きしてこう続けた。

「あの投げ方は、あそこ(本番のマウンド)だけでやりたいんです。このやり方を認めてくれるのは、育英のやりやすい部分だと感じます」

「154キロ」記録に本人は?

 昨秋までの山口は、ともに同期で甲子園登板経験のある右腕・佐々木広太郎と左腕・武藤陽世の陰に隠れていた。だが、昨秋の宮城大会準々決勝・東陵戦で山口は先発に抜擢される。意気込んでマウンドに上がった山口だったが、4回に2失点を喫して降板。試合は1対2で敗れ、仙台育英のセンバツ出場は消滅した。

 東陵戦での敗戦を受け、山口は人が変わったように取り組み始める。

「本当に悔しくて……。もう絶対に負けたくない、春までの7カ月間で必ず改善して戻ってこようと思いました」

 さらに、須江監督から「内面的な幼さがある」と指摘を受け、学生コーチを兼任するようになった。山口は平日練習のスケジュール決めや来客対応などの仕事をこなすなかで、心境の変化が生まれたという。

「自分以外の人のことを見ておかないと仕事ができないので、周りを見られるようになりました。今にして思えば、今までの自分は自己満足でピッチングをしていたんだなと感じます。自分が抑えれば、あとは他の人がやってくれるだろうという甘さがありました」

 肉体的にも技術的にも一回り大きくなり、山口は今春に開花の時を迎えようとしている。

 4月27日の春季宮城大会一次予選の仙台商戦では、仙台市民球場のスピードガンに「154キロ」の数値を表示させた。だが、同球場のスピードガンはかねてより誤差の大きさが指摘されており、山口は「最速にカウントしていません」と笑う。それでも、山口の成長具合を見る限り、実際に154キロを計測するのも時間の問題だろう。

「高卒プロ志望」を明言

 須江監督も山口の素材を高く評価している。

「パワー系なのに、変化球でもあまり腕が緩まないピッチャーは珍しいと思います。あとは伸びしろしかないので、見ていて楽しいですよね。カレンダーをめくるごとに、向上しているのがわかる。まるで幼虫がサナギになって、蝶になっていく過程を見ているみたいです」

 仙台育英は絶えず複数の好投手を擁して、2022年夏に甲子園制覇、2023年夏に甲子園準優勝と結果を残してきた。それでも、過去2年で高卒でのプロ入りを果たした投手はいない。ほとんど公式戦実績のない山口だが、「高卒プロ志望」を明言する。

「練習試合で少しずつ自分のピッチングができるようになってきて、最近になって『高卒でプロに行きたい』と思えるようになりました。もちろん、実績あってのプロだとも思うので、夏はチームとして甲子園に行って、日本一を取りたい。そこに向かうなかで、みなさんに自分のピッチングを見てもらって、少しでも『山口ならプロでやっていける』と思ってもらえたらいいなと考えています」

 今やサナギから羽が見え始めている。謎の剛腕が大空に向かって羽ばたく瞬間は、すぐそこまできている。

文=菊地高弘

photograph by Takahiro Kikuchi